般若心経を生きる・・・青木擴憲④

私はその物件を買い、長野駅前店を開いた。それが売上げ増になった

私にとってそこまでが生活のためのビジネスであった

カラマツ通り

ビジネスを通じて社会に恩返し

母はなぜあれほど明るく生きられたのだろうか

内野常次郎碑

母が『般若心経』にどんな思いを抱いていたか、私にはわからない

だが『般若心経』を私なりに解釈するとこういうことである

上条嘉門次に弟子入りし、北アルプスの山案内を晩年まで続けた

狩猟人であり山案内人であった

「人は必ず死んでいく。人生はせいぜい80年。しかも意識して本当に活躍できるのは、たった50年前後に過ぎない。45億年という地球の歴史に比べれば、それは、ほんの一瞬の人生ではないか。だとしたら、その中で精一杯生きてみよう」

上高地バスターミナル

生きている今、これからの人生が大切なのだ

ナナカマドの実

あるがままに今を認めて、二度とない貴重な人生を輝いて精いっぱい生きなければならない、ということである

平湯大滝

『般若心経』は詰まるところ「空」の教えである。「空」とは「こだわるな!」という意味だという

落差64mm幅6mで飛騨三大名瀑

なるほどそう考えれば、母の姿勢は確かに「空」であったと納得できるわけである

日本の滝100選にも選ばれている

長野駅前店の開店で売り上げが増し、生活のためのビジネスは終わった感じていた私は、次の生きる目的を模索し始めていた

落葉広葉樹林帯

同時にその頃から、『般若心経』というものが、私の意識の中に、徐々にではあるが、大きな位置を占めるようになっていた

2月には結氷まつりが開かれライトアップされる

松代にある真田幸村の菩提寺の長国寺で、友人と10日間ほど『般若心経』の購読をし、和尚の説教を聞き、座禅を組むといったことをしたのはその頃で、私は24歳であった

四季折々に美しい表情を見せる

そうこうするうち、考えもまとまってきた。まず私は、自分が健康だったから、これまでの苦難にも耐えてこられたことに気づいた

奥穂高岳撤退していなかったら見れなかった

だったら、健康でない人々のために、何かお役に立ちたい。また今日の自分があるのは父母をはじめ多くの人や、目には見えない何かの「お陰」をくださった社会に対し恩返しをしなければいけない

オオハンゴンソウ

つまり、ビジネス以外に、福祉や病院建設といった公共性を追求したいということ

ヤマボウシの赤い実

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued