般若心経を生きる・・・青木擴憲②

私が中学の高学年になった頃から傾き始め、そんな状態が4、5年続いた。当時の生活は困窮を極め、生卵一つを兄弟3人で分け合うほどであった

4つ星ホテル「上高地帝国ホテル」

父の苦悩は想像に余りあるが、そんな時でも母は驚くほど明るかった

今年10月、開業85周年を迎えました

今にして思えば、父の苦悩に耐える姿、決して卑屈にならず明るさを失わない母の姿に、私は多くを学んでいたのだろう

営業期間は、4月26日11月9日まで

結局、私が高校を卒業する頃、多額の借金を背負って家業は倒産した

おすすめプラン・ツインAで1名様39000円から

大正池を散策するには一等地ですね

自宅だけはさらなる借金で競売を免れたけれど、その毎月の返済を届ける役は私がやらされた

周辺には豊かな森が拡がる

母に言わせると、「次の世代に対する父親の教育」というわけである。私にとっては、最初の大きな危機の訪れであった

霞沢岳方面

質流れ品を売り歩いてでも

私は、高校卒業と同時に商人の道に入った。借金を返済するため、家に残された質流れ品を、村から村へと売り歩くのが私の仕事だった

穂高連峰之図

要するに行商人であるが、あえて私はそれを外商と呼ぶことにしている

残念ながら穂高の稜線は見えませんでした

借金返済の外商を7年、その間に私はビジネスというものを覚えていった

豊かな森

まだ20歳になるかならないの私に理解できるものは限られていたが、それでも自分の着るもの、つまり服ならわかった

梓川河岸、焼岳も雲隠れ

幸い質流れ品には服が多い。勢い私は服に興味を抱くようになった。それが結果的に紳士服につながった

増水した梓川&河童橋

私は最初の紳士服店を篠ノ井に構えたのは1965年である。7年間の外商で蓄えた金が230万円あった

神河内「五千尺ホテル」

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued