般若心経を生きる・・・森政弘⑩
同時に煙突に見える必要がある。実際、消防署は階段を煙突と見ているわけです
樹海
要するに言葉が認識の邪魔をしていることを知ることが「般若」の入門なんです
カラマツ
同じ幹から3本木
言葉なしに見るということは、創造性開発に非常に大事なことです
カラマツの巨樹
創造性を開発する「三性の理」
『般若心経』には出ていませんが、仏教には「三性(さんしょう)の理」というのがあります
天を突くように伸びています
三性とは善・無記・悪のことです。無記とは善でも悪でもないものをさします
対岸に六百山2450mが見えた
二元論的な考え方では、ドスは悪、メスは善と考えます
沢の流れ
しかし、仏教的認識に従って、その外面にとらわれず、本質に目を向けてみる
梓川へ注ぐ
すると、それを使う者の内面的なものを抜きにすれば、外面的にはただ、先のとがった鉄のへらが存在するだけとなります
兄弟木
それは善でも悪でもない無記の存在です
森の精を運ぶ
それを人間が人を殺害しようとして使えばドスになるし、人助けに使おうとすればメスになるわけです
背比べ
私たちは、善とか悪とかいった価値は外側のものに固定的に付着していると思いがちです
岳沢湿原
しかし、善も悪も人間が無記からつくり出すんです
山を借景に入れる
この無記というものを、われわれ人間が扱うとき、扱い方に応じて、善になったり、悪になったりするのです
湿原のみ
一般に、扱い方は脳がコントロールする。だから心が乱れていれば、無記を悪として作用するように扱ってしまいますし、心がきちんと制御され、整っていれば善として作用するように扱うことができるのです
悠然と泳ぐヤマメ
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より
to be continued













