般若心経を生きる・・・森政弘⑦

損した得したというのは、境があるから得した損したとなる。境があって、外側から少し取ってきて内側に入ると、得したと考えますが、そうではない

明神岳最南峰2726m(第5峰)

主峰は2931m

すべてがすでに用意されているし、生まれてきたら必要なものはみんな与えられていると仏教では考えるわけです

主峰、第2峰、第3峰、第4峰、第5峰、長七ノ頭、2263峰、これらを総称して明神岳と呼ぶ

ゲーテもそういうことを言っている。人間は生まれてから死ぬまでに必要なものをみんな備えて生まれてきている。そういう観念が無所得です

アプローチは、岳沢登山口からが一般的ルート

現代は観念が物質的な時代ですが、無所得は、これをもっと認識論的、精神的に表現しているわけです

難易度は、コースによって中級から上級で、健脚者向き

『般若心経』でいう「無所得」が多くの方々の身についたならば、社会はこんなバブル経済や不況に翻弄されることはなかったはずです

落石や滑落、転倒に注意が要る

まさに煩悩の虜になって、無所得を有所得と誤って認識した結果です

穂高連峰を眺めながらの稜線歩きは最高らしい

『般若心経』に欠落した時間論

この実体がないことについては、『般若心経』には、じかに書いてありませんが、法華経の訳者でもある鳩摩羅什(くまらじゅう)が訳した『魔訶般若波羅蜜経』を読むとわかりやすく書いてある

ただし、クライミングの知識や経験が不十分な方、ルートファンディングに不安のある方には不向きとのこと

これは般若心経の数百倍も長いお経ですが、「菩薩ただ」名字のみあり。仏も亦ただ字のみあり。般若波羅蜜、亦字のみあり・・・一切我常不可得云々」・・・

雨天で水墨画の世界です

こういう内容が繰り返し繰り返し説かれています。そして大事なことは『大品般若経』のある部分は、『般若心経』とほぼ一致するんですね

今回は、明神岳をじっくり観察する機会となりました

舎利弗(釈尊の十大弟子の一人で、玄奘は舎利子と訳し、鳩摩羅什は舎利弗と訳した)。色不異空空不異色。これは『般若心経』と一緒です

幻想的な明神池畔

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued