般若心経を生きる・・・森政弘⑥

つい最近ふと気づいたのですが、物理学者は、「般若」の言葉でいうと、「不可得」という方につながっていくようです。一方、ロボット工学は「無所得」の方向だと思います

穂高神社奥宮隣にある「山のひだや」さん、冬期間中も営業されており、スノーシューをされる方々に人気があるようだ

不可得よいうのは、分けに分けて分子が原子になり、原子が素粒子、素粒子がクォーク、クォークがエネルギーと、いくらやっていったって先は無限にあるわけです

神降地「穂高神社奥宮」鳥居

ここで終わりというところが明確につかめない。なぜ切りがなくなるかというと、それは尋ねる心が人間にあるからで、ある段階までわかると、次のその先はどうなんだと究めたくなるから理論的に切りがないことになってしまう

嘉門次小屋の解説版

人間に尋ねる心がある限りどこまでも続く。だから不可得です

穂高見命(はだかみのみこと)を祀り、日本アルプスと海陸交通を守護する

ところが、私の方は、ロボットというものをポンとつくる。ロボットも分子のレベルで見ればみな分子なんです

穂高神社の本宮は、安曇野穂高にあります

それ以外のものはない。アルミの分子、鉄の分子、油の分子・・・と分子が寄り集まって、そこに部屋の中の空気のような分子の密度の薄い部分よりも鉄だのアルミニウムといった密度が濃い部分が生じただけで、そこにロボットというものが新規に生じたわけはでない

嶺宮(みねみや)が奥穂高岳の頂上(3190m)に祀られています

だから不生です。ただ、密度の薄いところ(空気)と濃い所(ロボット)との間に仮に境目を設けて、その境目から内側をロボットと呼んでいるに過ぎない

日本アルプス遭難者慰霊塔

しかもその分子とか原子などは時々刻々動いている

毎年10月8日に例祭「御船神事」が行われます

要するに「ハタラキはあるけれども実体はない」というのが、存在の般若的な把握の仕方だといってよいでしょう

山の安全と神の恵みに感謝するお祭りです

ただ、われわれは、こういう見方をせずに、この境を絶対視しているわけです

雅楽を奏で、龍の頭と鷁(げき)の首をあしらった2艘の船を池に浮かべて執り行われます

そして、内側のために、その外側を犠牲にする。これがエゴです

9月2日6:00に神主さんの礼拝で入場

入場料300円

しかし、境があるというのは妄想に過ぎません。そんなものはないんだと1回否定してみることが大切

靄がかかって神秘的でした

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued