般若心経を生きる・・・森政弘③

ロボット工学と「智慧」の経典

こうしてロボットが私に無意識世界の広大さを教えてくれたわけです

この辺りの梓川河岸は広い

また同時に、自分を含めた全体者、つまり仏像として人格化された仏ではなく、宇宙に遍満した心理としての仏も了々と納得できるようになりました

梓川左岸を徳沢園に向かう

さらにロボットに「自分」というものがあるのかどうかという疑問から、道元禅師の名言「仏道を習うというは自己を習うなり」がピーンと飲み込めましたね

足取りは重い

そしてそれが仏教の核心である「無我」につながってゆく

徳沢園では預けた荷物を回収し、用を足した

徳沢キャンプ場は、上高地最後の牧場跡です

仏教における最も大切な問題でもある認識の問題も、私はロボットから教わりました

ザックの整理

脳の構造次第でもモノは何とでも見えるのですね

フロントにはたくさんの百合の花が活けて在りました

ロボットの脳にあたるコンピュータのソフトを入れ替えるだけで、四角いものを丸く見せることぐらいわけないことです

井上靖の「氷壁」に出てくる徳沢小屋は「徳沢園」のこと

そうすると仏教の基本である「あるがままに見よ」「先入観をとれ」「頭脳をとってみよ」ということもロボットをやると抵抗なしに理解できます

舞台は前穂高東壁

ところで仏教の専門家はどなたも、「般若」の知恵というのは、語れないし、軽率には語ってはいけないと申されます

穂高連峰や槍ヶ岳への登山基地として利用される

事実、冒頭に言いましたように、「般若」の知恵は言葉では語ることのできないことは確かです

出発前に、雨の徳沢園敷地を歩いた

伝統的にそういうことでずっときていますから、われわれ一般衆生は「般若」の知恵というものは全く分からずにいるのです

前を流れる川は増水していた

大事な仏教の基本的な知恵が、結局、秘密のままに閉ざされて近づけないわけです

可憐なノコンギク

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued