般若心経を生きる・・・森政弘②

もしも音が聞こえないように耳をふさいで眠ることを想定してみると、初めて耳にはふたがない深い理由に気づくのです

横尾谷を横尾へ引き返す

夜中に火事でも起これば、その人は焼け死ぬ可能性が高いわけですね。耳にふたがあってはまずいのです

同様に、ロボットにお辞儀させようとしたら前のめりに倒れてしまいました

屏風ノ頭

ふつう、私たちは誰でも、お辞儀とは頭を下げることだと思い込んでいますが、その意識は、その半分しか見ていません

道端の2本木

直立したものが、頭だけを前に下げれば重心は前に移動して倒れてしまうぐらいのことは力学の初歩です

横尾大橋

しかし、ロボットを倒してみて初めて、お辞儀とは、頭を下げると同時に、おしりを後ろに突き出すことだとわかるのです

増水した梓川

これらはほんの一、二例ですが動作を一つ一つロボットにさせてみると、体の動きのほとんどは、意識下の制御によって、知らず知らずのうちに見事に行われていることを痛感します

槍ケ岳に向かったグループは、上流が増水してあと50㌢くらいで氾濫するというところがあったと言っていた

気が付いて行っている動作は、その八万四千分の一くらいといった感じがしています

そんなわけで、槍ヶ岳グループも撤退したようだ

未那識と阿頼耶識に気付く

仏教は心を大事にしますが、心の中でも意識の下の奥深いところ、特に末那識、阿頼耶識が仏教の非常に大切なところなわけです

無念の奥穂高岳登山(白黒で表現した)

末那識は、この世の中をごたごたに悪くしている元凶であるエゴのもとです

屏風ノ頭と横尾橋

阿頼耶識は精神的宇宙みたいなものですが、これはユングやフロイトの心理学には入っていない深い深いところです

中部山岳地図

そういう無意識の世界がロボットを動かしては失敗することで、次々と意識の上に上がってくるんです

梓川の流れ

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued