般若心経を生きる・・・村田兆治⑩

その頃、私は病院回りには失望していました。どうせまた「骨には以上ありません、様子を見ましょう」といわれるに決まっている

千草岳山腹で休憩しているとM・K氏が853木段を下りてきた

釈迦ケ岳山頂から橡(えん)ノ鼻(岡田雅行が担ぎ上げた青銅製の蔵王権現像が祀られている)まで往復されました

しかし、せっかく妻が言ってくれたので、順天堂病院を訪れた。予想に反して、肘関節専門医の先生が、明快に私の肘痛の原因を解き明かしてくれた

雷鳴も遠のき、ここまで来たら安心です

「関節を保護している関節胞が伸び切っているから、テークバックの時に口が開くように関節が緩む。正常な関節は横へは開かないのだが、あなたの場合は38度も開いている。開いた関節を戻すときにガチンと当たるので痛みが走る」

沢を3回渉りました(水は流れていません)

なるほど、原因はよくわかった。先生が言うには「何とか手術をしてあげたいが、失敗したときのことを考えると・・・」

サッカー選手だったT・Y氏の足取りは頼もしく感じました

だったら、スポーツ医学が進歩している外国へ行って手術すればいい。私は、目の前がパーツと明るくなった

最年長参加者のH先生、妙見山でトレーニングの成果を発揮されて見事、踏破されました

日本のプロ野球界では、一度体にメスを入れた投手は二度と再起できないといわれていた。しかし私は手術に賭けることにした

かって、行者坊、仲ノ坊、森本坊が軒を並べていた場所。不動坊は、小仲坊の隣にあった

手術すればもう一度投げられるかもしれない。それなのに手術しないのであれば、自分の人生を途中で投げ出したことになる

完歩記念の集合写真

私としては、自分の人生を振り返った時に悔いを残すようなことはしたくなかった。もし失敗したとしても、それはそれで自分の人生なんだ

15:30分、行者堂に全員無事下山の報告とお礼

こう比較的冷静に考えることができたのも、『般若心経』の「無」や「空」を学んだおかげかもしれない

般若心経を唱え、三礼を挙げました

8月20日、私は妻とともにロサンゼルスへ飛んだ。スポーツ医学の権威、フランク・ジョーブ博士の診察を受けた

1日乾かしたので、きれいに仕上がりました

「痛みの原因は肘の腱が切れているからだ。大リーガーのトミー・ジョンと同じケースだ。彼は手術して2年後に復帰した。君も治すには手術しかない」

揮毫した藤田渓春氏(11月の個展に出品されます)

マウンドであの激痛が走ってから463日目の8月24日、私は左手首の腱を右肘に移植する手術を受けた。手術は成功だった

11日、小仲坊での夕餉

ジョーブ博士はこう言った。「君がカムバックできるかどうかは、日本に帰ってからの君のリハビリ次第だ。肘が以前のように動かないとしたら、それは君自身の責任だ」

揮毫文の説明をしています

リハビリはスポンジから始まる。朝起きてから夜寝るまでスポンジを握る。スポンジはやがて軟式テニスボールに、1kgの鉄アレイに、そして鉄製の握力強化器に替わっていった

日本遺産、いや世界遺産です

早朝と夕方に7㌔の走り込みをすることも欠かさなかった。体力はついた

二ツ岩で(下山時)

しかし、本当にもう一度投げられるかどうか心配だった。父が亡くなったのは、ちょうどこの時期だった

般若心経の教えにも通じる

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued