般若心経を生きる・・・村田兆治⑥
滝に打たれるのがまたつらい。何しろ、心臓まで凍り付いてしまいそうな水の冷たさなのである。普通の人であれば、とても耐えることなどできない
トウヒの樹間から台高の山脈が見えた(大台ケ原・日出ケ岳)
精神的に断崖絶壁に立たされていた私だからこそ、パンツ一枚で激しく落下する滝の下に入っていけた
妙高山の麓が実家のY・I氏
私は滝に打たれることにより、「右ひじの痛みはもう治らないのではないか」「引退したほうがいいんじゃないか、いや、まだ現役でやっていきたい」
ツアーステージのキャップがお似合いです
「もう投手生命が断たれたと宣告されるのが怖い」といった雑念で乱れ委縮した精神を、「右肘を治すためにはどんな辛さにも耐える」という一念に凝縮したかったのである
こういった枯れ木が随所に見られます
それにしても、宗教という大きな心の支えがなければ、村田兆治のカムバックはあり得なかった
山頂に大日如来像が立つ大日岳
200勝もあり得なかったし“サンデー兆治”の勇姿もなかった。とりわけ『般若心経』に教えられたところは大きい
東南が断崖となっている
60勝を生んだ無心とは
『般若心経』はわずか262字文字の中に、何と「無」という文字が21回出てくる。「空」も7回出てくる
池郷川を挟んで黒谷峠の峰々
この「無」と「空」に私は惹かれた。私はプロの宗教家ではないので、その解釈もあくまで私流である
千手観音が祀られている第34靡「千手岳」1357m
もしかすれば間違っているかもしれないが、少なくとも、プロ野球のエースの一人である私の心の立ち上がりに役立ったことは事実である
第39靡「極楽ノ都津門・胎内くぐり岩」があるところ
そこで、私流の解釈について話したい。「是故空中 無色 無受想行識 無限耳鼻舌身意 無色聲香味触法 無限界乃至無意識界」という一節がある
大日岳「十三尋」と呼ばれるクサリ場が見える
ちなみにここだけでも「無」が6回出てくる。現代語に訳すと「しれ故に、何ものもそれ自体では空であるという立場においては、物資もも無く、感覚も無く、表象も無く、意志も無く、認識も無い
一帯は笹原の群生帯
眼も無く、耳も無く、舌も無く、身体も無く、心も無い。形も無く、声も無く、香りも無く、味も無く、触れられる対象も無く、心の対象も無い。眼の領域から意識の領域に到るまで悉く無いのである」ということになる
この青空の一時間後に雷鳴が轟くとはつゆ知らず
青文字は、1993年11月「プレジデント」より
to be continued











