般若心経を生きる・・・村田兆治④
キャンプでも最高の仕上がりで、開幕から4勝1敗という成績であった。5勝目を狙う5月17日の近鉄バファローズ戦、ブルペンで投げていた私の右腕に、脳天が痺れるほどの激痛が走った
10:49分、般若心経読誦
心経が刷り込まれた手ぬぐいをみて唱える、N氏・Oさん・藤田渓春氏
「役者が舞台で死ぬのが本望のように、投手がマウンドで死ぬのが本望だ」と自分に言い聞かせてマウンドに上がったものの、結果は散々で、私は1イニングでで降板した
父と同じ大正13年生まれの釈迦如来像(満94歳)
好事魔多し。一度は「私の野球人生は終わりだ」とも考えたが、治るものなら治してもう一度マウンドに立とう考え直したと
西方浄土を向いて立っています
幸いに、レントゲンで調べた結果、骨には異常はなかった。そのシーズンは投げられないまま棒に振った
山頂には、われわれ以外に太尾登山口から上ってこられた2名と、休憩していた1名の合わせて21名
翌1983年のキャンプでは、それまで以上に体をいじめ抜いた
心経を唱えている間は無心になれます
1日150球の投げ込みもした。しかし、オープン戦が終わる3月には、またも右肘に激痛が走り、ついには投げられなくなった
生かされている命に感謝しながら唱えさせていただきました
「治療に専念させてほしい」と球団に申し入れて、私は人がいいと勧める治療法を片っ端から試してみる生活に入った
千葉県柏市から見えられたM・K氏と
鍼、マッサージ、電気治療、温灸、整体術、ビワの葉に艾を載せたお灸もやったし、焼酎漬けのマムシを右肘に巻いたこともある
69歳、現役の営業マンです
スポーツ医学の名医がいると聞けば、その病院に足を運んだが、いずれもこれといった効果はなく、痛みの原因すらわからなかった
修験者の崇拝の象徴
私の心はズタズタになり、絶望感で今にも発狂しそうだった。これではいけない。精神を強く持つために、私は昼と夜を入れ替わることで精神を集中させようとした
釈迦如来像の前で立ちつくす面々
「無」こそ難行苦行の究極である」
夜家族が眠っているときに起き出して、部屋の明かりを消し、蝋燭を灯して、その炎をじっと見つめながら座禅を組む
最後まで直立姿勢のH・Hさん
蝋燭は我が身を燃やして、じりじりと溶けていく。燃え尽きる最後の瞬間に、炎は一際燃え上がる。私は、その姿に自分自身の生き方を重ね合わせてみた
トリカブトに釈迦如来
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より
to be continued










