般若心経を生きる・・・村田兆治③

入団15年目に迎えた試練

プロ野球選手と宗教書といえば、どうもピッタリこないと思われる人が多いだろう。しかし、父の影響もあって私にとって宗教は比較的身近な存在であり、かつ、心の支えとして必要不可欠なものであった

10:33分、釈迦ケ岳山頂に着く。小仲坊から5時間かかりました

中でも『般若心経』のありがたみを実感したのは、右腕の故障と苦闘していた時だ

釈迦如来像の前に咲くトリカブト

どんな人間でも、絶望の淵に立たされた時には、何らかの心の支えが必要になる。もちろん私も例外ではない

大峰山脈一帯で見られる

自暴自棄になりがちな心は『般若心経』によって叱咤激励され続けた。私は1968年、ドラフト1位で東京オリオンズ(現マリンズ)に入団した

大峯75靡第40番「釈迦ケ岳」山頂には釈迦如来銅像が立つ

希望球団は地元の広島カープだったので、大学やノンプロに行くことも考えた。しかし、プロ野球選手の道を選んだのは、子供の頃からのプロへの夢が、それだけ大きかったからだ

感動を表現していただきました

1年目はほとんど二軍暮らしで、「今年のオリオンズのドラフト1位は不作」と、マスコミに叩かれた。一軍登板わずか三試合、0勝1敗という成績であった

今度は小生の番です

2年目、チームは東京オリオンズからロッテオリオンズへと変わり、私はピッチングフォームづくりに取り組んだ。村田兆治といえば誰しも思い浮かべる「マサカリ投法」の原型が、ここで誕生した

達成感を共有

この年の5月23日、大阪球場の対南海ホークス戦で初勝利を挙げた。この時は、何と初先発、初完投、初完封、初勝利、初安打、初得点と、7つもの初が付いた初物尽くしであった

一番気に入ったのをお取りください!

2年目は6勝で、うち5つは完封。どうやらプロでやれる自信がついた年である。ところが3年目は5勝しかできず、防御率も4点台と芳しくなかった

最年少のK・S氏、何か見つけられましたか?

フォームが完成していないので、いい状態が長続きしないからだった。年間5、6勝程度の平均的ピッチャーでもいいと思えば、それでもよかった

大峯山中屈指の展望を誇りますが、雲が湧きました。幻想的なのもいいかな

私はもっと上のエースを目指していた。4年目に、ようやく2桁、12勝をマークし、以後、1975年に最多セーブ、76年に最多完封と21勝、79年に最多完投、81年に19勝で最多勝利を獲得した

釈迦ケ岳三種の神器(左から、錫杖、一等三角点、釈迦如来像)

まさに順風満帆といっていいプロ野球人生であった。そして、入団15年目の1982年を迎える。この年の私は、心身ともに充実していることを自覚していた

恒例の足固め式

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

 to be continued