般若心経を生きる・・・村田兆治①
激痛が走る肘。だはもう一度投げたい。悩んだ末に「無」へ行き着く
「サンデー兆治」復活したエースの心の糧
太古ノ辻手前の笹原
ロッテのエース村田兆治の右腕に激痛が走ったのは1982年5月17日のこと。その激痛は野球を断念するところまで彼を追い詰めた
8:34分、大峯奥駈道の中間点「太古ノ辻・背比べ石」
しかし再びマウンドに帰ってきた彼は、1078日ぶりに、完投勝利を挙げ、以後“サンデー兆治”の名を欲しいままにする
北奥駈道と南奥駈道の分岐点
苦しみの極限でこのエースの内面を支えたのは『心経』の教えであり、「無の精神」であった
大日岳山腹の岩場
「兆治・・・、この腕もってけ」
父の背中を見て子は育つという。私の宗教体験を思い返してみても、それは言えるようだ
ちょっとだけ注意を促しました
高校時代、私は甲子園を目指して野球に打ち込んでいたが、週末に家に帰ると、父が仏壇に向かってお経を唱えており、その間、じっと後ろに座らされた
靡35「大日岳」分岐、山頂には大日如来像が立つ
当時の私にとっては何でこんなバカなことをやらされるのか嫌で嫌で、苦痛以外の何物でもなかった
頂上へは三十三尋(ひろ)と呼ばれる鉄クサリ場を攀じ登るか、西側にある巻き道を登る
そんな私が、後には、妻が「出家するのではないだろうか」と思うほど、宗教に深い関心を持ち、宗教書を読み耽るようになる
大日岳分岐からズームアップ
1982年5月17日、私は野球人生の中で忘れることができない、まさしく運命の一日を迎えた。投手でありながら、ボールを投げることすらできないほどの激痛が右腕を襲ったのだ
ガスがかかってくる
多くの病院で精密検査を行ったが、その原因すらわからなかった。一向に回復の目処が立たず、野球を断念するかどうかの、人生の岐路に立たされた
靡37「聖天ノ森」を往く
そこで、私の宗教に対する思いが、改めて目覚めたのである。その原点にはおそらく仏壇に向かう父の後ろ姿があったに違いない
8月12日9:10分、靡38「深仙ノ宿」が見えてきました
私の家があった広島では、浄土真宗が一般的で、うちもそうであった。現在から見れば、毎日仏壇に向かってお経を唱える私の父などは、何と信心深いと思えるかもしれないが、当時としては、ごく普通のことであった
香精水「天神の腹より我等が元」
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より
to be continued











