般若心経を生きる・・・青山俊薫⑫最終回
まず最初に『舎利礼文』という短いお経を覚え、二つ目に覚えたお経が『般若心経』でした
原始の森
五歳といっても数えの五歳ですから、満三歳、どうにかカタカナは書けたので「ハンニャシンギョウヲ、オボエマシタ」と実家の母に手紙を出しました
高温多湿に加えて急登なので、30分くらいで給水休憩を取った
すると母の返事がすぐ来て、そこには「まだ小さいのによく覚えましたね。お母さんはいい歳をしてまだ覚えきれていないのです。そんなお母さんのために、片仮名でいいから般若心経を書いてください」と書かれていました
853木段の始まり
「お母さんより早く覚えた」と、母からの手紙を手に得々として、さっそく片仮名で心経を書いて母に送りました
オーバーヒートしないよう立ち休憩も取り入れます
しかし実はこれは母の老婆心だったのです。私の祖父は修験道の御嶽教の先達でした
靡三十「千草岳」
修験道では『般若心経』を誦むのです。そんな家に嫁いできた母は、毎朝神棚と仏壇にお水とお灯明をあげ、双方で『般若心経』をまず誦でから台所におりることを生活の日課としていましたから、心経を流暢に読めないはずがない
靡一は「本宮大社・証誠殿」、靡二は「熊野那智大社」、靡三は「速玉大社」
私は母のお腹にあるうちからずっと、それを聞いていたわけです
岩を掴むように根を張っています
覚悟を決め、娘をお坊さんにするべくお寺へ送り出した限りは、どうか一人前のお坊さんになってほしいという母の切なる祈りが、私を激励し、お経の復習を促す、こんな手紙を書かせたのでしょう
岩と木の共生、凄い世界です
後年、兄がこんな話をしてくれました
拝みたくなりますね
「あなたが五歳の時に書いた『般若心経』を、お母さんは一生宝物のように持ち歩き、時々出しては誦んでいたよ」と
岩塊の頂が千草岳なのでしょうか
「般若心経」が、私にとってまた格別なお経である理由です
震度7の揺れが来たらひとたまりもないだろう
青山俊薫(あおやましゅんどう):昭和8年、愛知県一宮市生まれ。85歳。5歳で長野県の塩尻市の曹洞宗無量寺に入門。15歳で得度し、愛知県専門尼僧堂で修行。平成21年、曹洞宗の僧階「大教師」に、尼僧として初めて就任。インドへの仏跡巡拝、マザーテレサの救済活動など、海外の活動も多い。著書も多い。
皆さんが休憩している間に千草岳をウォッチングしました
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より











