般若心経を生きる・・・青山俊薫⑨

「彼岸」はどこにあるのか

彼岸とは、確かにある日、「あ、そうか」と気づかせてもらう世界ではありますが、決して遠くにあるものと見るべきではない

16:03分、閼迦坂峠出発

いかなる場合でも、「今、ここに」ということでなければなりません。「到彼岸」は、こちらから彼岸に「至る」ということと同時に、すでに「至っている」という意味を含んでいることは、すでに申しました

落ち葉が積もったままの行者道を宿坊へと戻ります

鈴木章子さんという47歳でガンで亡くなった女性がおられます。乳ガンが転移して肺ガンにかかってしまった鈴木さんは、その手術を終え、経過がよかったので大部屋へ移されたそうです

暑さでかなり堪えています

その大部屋の隣のベッドの方が翌日退院できると、鈴木さんに話しかけてきました。「よかったですね」と鈴木さんが言ったところ、その方は「いや、私は大安の日を待って退院するんです」と答えたそうです

足元に珍しいキノコを見つけました

しかし、大安を選んで退院したその方は、半年後に亡くなられました

マクロ撮影

「そのことを通して如来さまのご説法が聞こえてきた。新聞のご説法が聞こえてきた」と鈴木さんは言うのです

水の流れていない沢を渡ります

「大安の日の新聞には喜びの記事しかないかといえば、そんなことはない。仏滅や友引の新聞に、悲しい記事しかないかといえばそんなことはない

宿坊が見えてきました

新聞は、いつの日も同じように、喜びも悲しみも満載している。喜びも悲しみもみんな人生の道具立てだから、追ったり逃げたりしなさんなよ

苔生した敷地

むしろ、悲しみ、苦しみこそアンテナを立てさせていただく大事な機縁だから、喜んで受けて生きなされ。このように新聞はご説法している

時代を積み重ねた石段

「ご説法というのはお寺へ行ってお坊様から聞くものだと思っていたが、そうではなかった。肺ガンで寝ているこのベッドの上が如来さまのご説法の一等席であったと気づかせてもらった」鈴木さんはこうおっしゃるのです

16:40分、行者堂に無事帰還のお礼参り(般若心経を読誦する)

たとへ重い病の床にあったとしても、その病のおかげで聞くべきものを聞くことでできる耳を開けて、「ここが如来さまのご説法の一等席」と気づいたとき、そこがそのまま浄土になり、そこがそのまま彼岸になるとおっしゃるのです

千葉から見えられた光雄・K氏(69歳)と

つまり、私たちは最初から浄土の中にありながら、気づかせていただかねば、なかなかそれが分からない

17:48分、小仲坊の夕暮れ