般若心経を生きる・・・青山俊薫⑤
「悟り」とは自覚すること
仏教いう「法」には、三つの意味があります。一つは存在するものという意味。一つは「真理」という意味。もう一つは「教え」という意味
ここから奥は内離谷で、さらに奥にはアメシ谷、クジャク又右谷、クジャク又左谷、右俣、左俣、空鉢谷、深仙股谷、大日谷、杖谷などの沢が控えている
《法=存在するもの》を見ていると、天地のありよう、つまり存在のルールが見えてくる。これが二つ目の《法=真理》です
大雨が降ったら流れが一変するでしょう
二つ目の《法=真理》をしっかり見据えていると、おのずからどう生きるべきかの答えが出てくる。それが三つ目の《法=教え》です
見た目の美しさをカメラで表現できないのが悔しい
「法」という漢字はサンズイと去るで構成されています。水が流れ去ると書きます
河岸を慎重に進むT・Y氏
たしかに、少なくとも引力のある地上にあっては、水は高きから低きに流れる、これは人間の取り決めた約束事ではなく、いわば天地の道理です
この日の最深部のたまり場・釜
天地の道理は時間を超え、古代であろうと現代であろうと未来であろうと、西洋であろうと東洋であろうと変わりません
陽が差していたらどんな輝きを見せてくれるのだろう
これこそが真理というわけです。この水の流れ去る姿で真理を表現したのが「法」という字です
この日はここまででしたが、7月15日に来たときは内離谷右岸の尾根を登り、さらに奥地を観察することができた
「般若の智慧」とも言い換えられるでしょう。さて、永遠の、その天地いっぱいの命つまり「空」が展開して、有限の姿形を持った存在である「色」となります
とても一人で踏み込める場所ではありません
その「色」という存在物には、鉱物、植物、動物、人間と、いろいろあります
経験と装備と、地形に詳しい方の同伴が不可欠です
鉱物は物質のみの存在であり、植物はそれに命が加わります。動物は、そこに認識する力が加わります
魅せられて入り込むと、どんどん引き込まれて行きます
そして人間は、物質、命、認識の上に、天地のルール、つまり永遠のそして天地いっぱいの生命に行かされている命であることを自覚する力をいただいております
気づいたときは転落では、手遅れです
永遠の天地いっぱいの生命の働きのおかげで一輪の花は咲くことができ、鳥も飛んだり鳴いたりすることができる
独り、あるいは少人数では「狐につまされる」こともありますから、経験のある小生が言うのですから・・・
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より
to be continued











