般若心経を生きる・・・青山俊薫③
女人「般若心経」わが母、わが心
その存在の仕方には、きちんとしたルールがあります。一つが時間的なルールで、これが「無常」です。無常とは一刻も留まっていないということです
14:29分、前鬼裏行場「垢離取場」
この下流出合いを滝谷へ入ったところに三重(みかさね)滝「馬頭・千手・不動」がある
一刻も留まることなくどんどん動いている、活動している、移ろうていく。その様を「無常」と表現します
神聖な場所です
他に、屛風の横駈、天ノ二十八宿などを巡る。不動七重滝はさらに下流になる
これが時間的縁起です。何ものも一刻も留まらないし、戻らないから、やり直しがききません。それが「諸行無常」ということです
水行を終え、改めて見惚れていました
まどみちおさんという方の「水はうたいます」という詩があります
水面下、黒っぽく見えるのは岩場です
♬水はうたいます、川をはしりながら
海になる日のびょうびょうを、海だった日のびょうびょうを
雲になる日のゆうゆうを、雲だった日のゆうゆうを
雨になる日のざんざかを、雨だった日のざんざかを
虹になる日のやっほーを、虹だった日のやっほーを
身も心も聖地に委ねました
雪や氷になる日のこんこんこんこんを
雪や氷だった日のこんこんこんこんを
水はうたいます、川をはしりながら♬
参加されて皆さんは、この場所を生涯忘れることはないでしょう
みな現在形と過去形と両方で語られている。そして最後に「川である今のどんどこを、水である自分の永遠を」と、そんな言葉で結ばれている
下流を見下ろしました。7月に来た時とは水量が少なかった
一つのものが縁に従って水の姿をとり、海の姿をとり、雲の姿をとり、虹の姿をとり、あるいは雪や氷の姿をとり、というように、いろいろと絶えず形を変えていくというのです
巨石がごろごろしています
つまり変化しつつ永遠に生命を保っていくということです。西田幾多郎さんの言葉を借りれば、これを「不連続の連続」ということになるのでしょうか
耀君も記念撮影です
かっては海であったり、雲であったり、虹であったけれども、そしてこれからどんな形になろうとも、つまり過去はいかがあろうとも、未来がいかがあろうとも、いま私は水なんだ、いま私は川なんだ、その今を大事にして精いっぱい命をかけて生きることです
役行者さんも、ここで水行をされたのでしょう。そう思うだけで胸が熱くなります
それを、例えば道元さんは「生も一時の位、死も一時の位」という言葉で表現されている
着替えをされた方もありましたが、小生は海パンのままズボンを履き宿坊へ帰りました
変わりつつある永遠の命が、今は生という姿をとり、あるいは死という姿をとっている、その今の姿に命をかけ、よそ見せず大切に生きる、ということです
金剛杖と会旗
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より
to be continued











