般若心経を生きる・・・宮坂宥勝⑩

わが国の文学作品にも心経がしばしば見出される。そこには庶民の心経信仰の姿がありのままに投影されている

13:00分、宿坊の東側にある「三重滝」へのルートに入ります

たとえば、「今昔物語」巻第12本朝付仏法の「伊賀の国の人の、牛に生じて子の家に来れる話第廿五」に「我れ、智なし。只般若心経の陀羅尼ばかりを読みて年来乞食をして命を継なぐ」とある

行者道なので登山道と呼べるほどには整備されていません

ここにいう般若心経の陀羅尼というのは、むろん巻末の「羯諦 羯諦云々」の四句咒のことである

懺悔!懺悔!六根清浄!!を唱えながら進みます

「義経記」の「直江の津にて笈探されし事」に「オンころころ般若経などぞ祈りける」とある。田中本に「をんころころほうちそわか(=ぼうぢそわか)はんにゃしんきゃうなどいのり」とあるのがよいとされる

日中でも夕方のような面もちです

正確に言えば、薬師如来の真言「おん・ころころ・せんだりまとうぎ・そわか」と心経の「ぎゃてい・ぎゃてい・はらぎゃてい・ぼうじ・そわか」とが混合してしまっている

経験の少ない人、初めての人は単独では入らないことですね

だが、たいせつなのは心経の般若波羅蜜多の咒(=真言)に対する庶民の信仰であり、しかもそれは「祈り」と結びついていることであろう

閼迦坂峠

閼迦とは、サンスクリット語の「アルギャ」で、英語のAQUAの語源ではないかと言われている

東大寺二月堂の修二会では閼伽井屋(あかいや)の若狭井から香水(こうずい)を汲む「水取り」が営まれている

 

どうも一般民衆の間では心経の掉尾の般若波羅蜜多の咒すなわち真言に、空海も「真言は不思議なり」と説いたように、不思議な力があると信じ、それに魅力を感じていたことが分かる

ちょっとの距離、ちょっとの登りですが、汗はたっぷり掻きました

空海は心経について、これを要約していう。「誦持、講供すれば、即ち抜苦与楽し、修習思唯すれば即ち道を得、通を起こす」

大杉の後ろを上ると、太古の辻へ至る二ツ岩手前に出る

心経を常に読誦し、また講義し供養すれば、すなわち句を救い、

心の安らぎを与え、修め習い、深く思いをこらすならば、すなわち宗教的人格(仏道)を完成し、不可思議霊妙な力が現れる、という趣旨である

広場になっており、真ん中あたりに点標がある

いつの世であっても民衆が常に求めているものは日常的な抜苦与楽の現世利益、つまりご利益、ご功徳である

祠で合掌し、般若心経を読誦

心経に寄せる思いもひとえに般若波羅蜜多の咒に対する現世利益的な信仰だったのである

巨木の傍を横切る

渋柿の渋さそのまま甘味かな

インテリ、知識層と呼ばれる人々とは、現世利益を一概に低級な信仰もしくは迷信だと決めつける。だが、現実はそうではない

滴る汗を拭うS・Y氏

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued