般若心経を生きる・・・村田兆治⑪
手術前とはまた違った意味で精神的に非常につらかったが、支えとなったのは、やはり座禅であり『般若心経』であった
山の日の8月11日11:30分、前鬼山「不動七重滝」展望所にて
ドロンで滝上空を撮影する人2名あり
『般若心経』では「行深般若波羅蜜多時」とあるように、「般若波羅蜜多」を行じて見なければ「空」の悟りは開けないとされている
前鬼・小仲坊「行者堂」前にて般若心経を読誦後、集合写真
この「行」とは何かといえば座禅のことである。座禅を組んで初めて、人は「空」即ち「無我」を体得することができる
14:30分、前鬼裏行場「垢離取場」で水行、六根清浄「解脱後」撮りました(般若心経3回読誦)
当時、私は背筋をピンと伸ばして、背中が剛鉄になるまで座禅を組み『般若心経』を声を出して唱えた。それが私の精神状態を安定させたことは間違いない
裏行場周辺は、この世のものとは思えないくらい綺麗なところでした
23年間追求した野球道
手術から3ケ月余りたった12月に、ようやくキャッチボールができた。1984年5月31日、イースタンリーグの大洋戦に先発、8月12日、札幌円山球場で、818日ぶりに1軍のマウンドに上がった
対西武戦で、ロッテが17-1と大量リードした試合の最終回1回だけだった。結果は9球で三者凡退だった
11日18:00分、赤田さんより差し入れて頂いたビールで乾杯
9月25日には先発して5回を投げ、翌1985年4月14日、対西武戦で完投勝利を挙げた。1078日ぶりの勝利だった
第2部「藤田溪春氏パフォーマンス」では、一文字書き「弼」を金墨で書き上がられました。音読みは「ひつ」、訓読みは「たすく」、意味は「付き添って助け正す」
前列右から2人目が五鬼助夫人
それから“サンデー兆治”が実現し、1990年10月13日、対西武戦で5回コールド完封、通算215勝を挙げてユニフォームを脱いだ
赤田さんが差入れしてくださった「千枚田」で乾杯して揮毫
結局、23年間のプロ野球生活の中で、私が求めていたのは「野球道」だった
12日9:30分、大峯奥駈道「太古ノ辻」
剣道や柔道に「道」があるのなら、野球にも「道」があってもいいじゃないかというのが、私の考えである
11:00分、釈迦ケ岳山頂
釈迦如来像・錫杖・一等三角点と仲間たち
道とは、即ち究めることであり、それは、肉体だけではなく精神も伴わなければならない
感動・歓喜の瞬間
私の「野球道」の追及において『般若心経』は不可欠のものだった
パフォーマンス第2弾
深仙ノ宿「灌頂堂」前で揮毫する藤田渓春氏
現役を引退したものの、プロ野球の解説者や指導者として、あるいはライフワークである離島の子供たちのための野球教室を通して、「野球道」の追及はまだまだ続く
1日乾かしました。釈迦ケ岳下山後、行者堂前で
神變(じんべん)の御縁を後の世へ継なぐ
当然『般若心経』との付き合いも一生続いて、少しずつでもその心髄に近づくことができたらと思っている
師匠が持っていた朝日新聞の記事
ヘリなのかドロン撮影なのか、ちょっと分かりません
1300年の歴史を、役行者との御縁を、後の世に継いでいただきたい!
第132回山耀会「釈迦ケ岳」登山記完
吉野署は、山の日の11日に下市口駅や大台ケ原駐車場など4ケ所で山岳遭難防止の啓発活動を行い、チラシや緊急用の笛などを配布し、登山届の提出を呼び掛けた
平成29年度の奈良県の山岳遭難は47件55人で、死者8人、行方不明者1人、けが人22人であった。今年は7月末までに26件38人で、死者2人、けが人12人