般若心経を生きる・・・宮坂宥勝②

原始般若経典の成立が紀元初期だとすれば、さらに心経の年代を遡らせることが可能かもしれない

渚の神事(ショウグリ=潮垢離)、今年から御仮屋前の広場に変更になりました

数多の註解書が示すもの

現在、心経のサンスクリット語原本には、小本と大本がある。小本は現行の心経とほぼ同一であり、大本はその内容を整備し増広したものである

理由は、高齢化に伴い浜へ担ぎ出せない、砂浜を均す経費を削減できる、などの理由のようです

玄奘訳は、広く中国、韓国ー朝鮮、わが国に流布した。これはごく僅かな加筆があるが、今日、一般に読誦したり、写経などに用いているものである(流布本は「仏説魔訶般若波羅蜜多心経」)

御神輿の鉾持ちだけが、鉾先に榊御幣をつけた鉾を渚に浸し、そのホコを執って御神輿の前に立ち、左右左と祓ってから御神輿の横に立てかける

 

唐代の大翻訳家、玄奘の訳出した心経には、実に驚くべき程の多くの註解書が書かれた

ショウグリ=潮垢離であり、海水でみそぎをして身を清めること

「昭和法宝総目録」によると、中国では77部、日本では45部とあるから、これに未知の朝鮮で書かれた註解書を加えるならば厖大な数量になるだろう

渚の神事をする浜辺がショウグリバ=潮垢離場なのである

近代以降、現在に至るまで、わが国における研究書、注釈、解説やエッセイまで含めれば、リスト化しただけでも優に一冊の本になるに違いない。しかもこれらはすべて玄奘訳を用いている

宮司以下神職は、海を背にして4基の御神輿の前に立ち、神職の一人が神楽を奏す

一つの経典にこのように多くの著述がなされたことは、他に例を見ない

宮司は住吉神社の御神輿の前に進み出て大祓詞を奉唱する

中国以来、心経が多くの人々の人気の的であり、信仰の対象となったことはもとより、内容の難解さの故もあっておびただしい数の註解書がつくられたゆえんであろう

南志見郷の人々のもろもろの罪穢れを祓い清め、生業をいよいよたち栄えしめ給えと祈る

心経はこれを読み解くひとの立場、すなわち思想的な関心や理解の仕方などによって読み取り方が違う

祝詞が終わると、ふたたび笛・太鼓の神楽があげられる

つまり心経の世界はそれほど奥深く、広がりをもつともいえる

6人の宮司・神職

玄奘が訳出したのは貞観23年(649)5月であるから7世紀中葉である。それから間もなくして、彼の門下によって、いくつかの註解書が書かれた

渚の神事が行われる浜は見渡す限りの塩田地帯だったという。今は跡形もない

玄奘の指導によって唯識哲学(法相学)の立場から慧浄が「心経経疏」を、同じく玄奘の高弟で法相宗開祖の窺基(きき)が「心経幽賛」を、また同じく円測(えんじき)が空の哲学を解明した「心経賛」を著した 

古式豊かに祭事が執り行われました      

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued