般若心経を生きる・・・加藤湘堂⑮

写経というのは、当初、中国から渡ってきた書風で書かれていた。平安時代の写経も中国の模倣である

小田屋区長のT・K君は同級生

ところが平安朝時代になり、日本で仮名が生まれると同時に、同じ漢字でも「日本の漢字」というものが生まれた

今年は、尊利地の子供キリコに密着しました

たとえば清盛や道長の「心経」の字がそれである。これらを中国の写経、「唐様」に対して、日本的な写経、「和様」という

前2本のキリコ、中4基の御神輿、後ろ2本のキリコが続きます

しかし、この和様写経は平安朝以後、時代とともに衰退し、唐様だけが継続されてきた

御神輿の掛け声は「やっさーやっさーとこやっさー」だったように思う。担がなくなってからはほとんど聞かれなくなった

卑近な例になるが、私の「般若心経」は、和様といってよい。衰退していた和様を、私は自らの書としてつくり出した

キリコは、前責板(音楽の指揮者と同じ役目)が提灯をかざし「おーい」の合図で、笛・太鼓・鉦の祭囃子に合わせて担ぎ上げた

キリコの掛け声、「そーりゃ」、「そーれ」などもあまり聞くことはなくなった

これもまた、、写経をやっているうちに自分の書ができた、繰り返すうちに、真似でないものが生まれたのではないかと思う

キリコを下ろすときの合図も同じで、囃子は休憩時のリズムを奏でる

真似でない自分の字、しかもいい字を書くとなると、容易なことではない。もしかして、いいものは一生真似ていかなくてはならないのかもしれない

鉦は地域の子供がキリコ台に乗って叩く

それと同時に、自分のものをつくっていく。要するに、いいものを常に咀嚼し、吸収していかないと、「悪達者」になってしまうということだ

太鼓は地域でも、リズム感がよく上手な人が打つ

良寛や会津八一、高村光太郎が書家の字を嫌ったのは、それが悪達者だからだ。たとえば、高村光太郎はこういうことをいった

「書道興って天下に悪筆広まる」と。悪達者になると、その字には嫌味ばかりが残る

笛は、誰でもふけるものではなく、地区で吹ける人が担うか、他地区から助っ人として雇う場合もある

良寛の字は、大人になっても童心を失わなかったからよいのである。事実人間は大人になると、名誉も欲しいし、金も欲しいし、地位も欲しい。他人から喝采されたと思い、それらの邪念を一切捨てるといういうことはなかなかできない

中川宮司と語らう鉾持ち

独自の写経というものも素人ではなかなか書けないが、だからといって職人として悪達者になってもいけない。非常に難しい世界なのである。さらにいえば、仏様でも仏画でも写経でも、「気品」がなければ駄目である。人間でも同じである。気品というのは、単に美しいということではない。純朴な中にも、非常に気品のある人もいる

子供人足は赤いたすきを掛けるのが伝統となっている

気品のあるお経を書くことができたら、おそらく人間もそれにふさわしい人になれているのだろう。書に限らず、すべてのものは最終的に人間。人間が悪くてはいいものは生まれないのである

小田屋八幡神社のキリコ、浮き字「隔世感」

左下に、「中小田」「末折」の文字が見える

繰り返しになるが、写経の功徳は、一枚できたら二枚、二枚できたら三枚というふうに、一生懸命繰り返していく中にある

いわゆる加護や功徳というのは、繰り返し繰り返し続けていく中で、おのずから自覚されてくるものなのだ

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

明日からは、262文字はなぜ人々の心を捕らえたか・・・宮坂宥勝を連載いたします