般若心経を生きる・・・加藤湘堂⑬

先にも述べたが、書いているうちに、もっと美しくかきたいという気持ちが起きて、一生懸命になってくる

境内に担ぎ込まれる御神輿

写経というのは、一枚書くのは大変だが、堪えなければ書き終わらない

一呼吸おいて拝殿に入ります

書くことに集中するうちは、辛抱する心も養われてくる

総社の柱は高いので鳳凰を外さなくても大丈夫です

写経することで実際に功徳があるかについては、何ともいえない

キリコ3本が集結

しかし、写経する間だけでも、色んな俗念や欲望がおのずから薄らぎ、それがもう写経の功徳なのではないかと思う

最後の1本小田屋のキリコが走りこんできました

私が写経の道に入ったのは、誰に教えられたからでもない。二十代の頃、昔の写経を見て、何千、何万という字を一人で書くという凄さに感動し、よし、やってみようと思い至ったのが最初である

ご両親が亡くなられ実家はもうありませんが、M・Iさんが姉弟で帰省し祭りを見学されていました(写真は非掲載)

初めは、筆のことも、紙のこともわからない。とにかく真似ることから始めた

祭での邂逅は50年ぶりかな(小生、M・Iさん、K・T君)

いいものに触れて真似ていけば、見よう見真似でも覚えてしまう

拝殿に向かって4本のキリコが勢ぞろい

ただ、手本だけは悪いものではいけない。朱に交われば赤くなるというが、たとえ初心者でも、美意識というものは自然に感化を受けてしまう

手前の里中組キリコの浮き字は「祭祖宗」(祖先を崇拝し祭るとの意味でしょうか)

先に述べた通り、伝・空海の「隅寺心経」を手本に書いてみるのがよい

キリコの責任者は御神火を頂戴するため、ぼんぼりをもって待機しています

私は、初めは手本の上にパラフィン紙を置いて模写し、次には写さないで見て書くようにした。臨書である

4基の御神輿がそろい祭典の準備が整いました

その次は手本を見ないで、活字から書くという過程を経たが、この三つの過程を一緒に進めていくこともできる

カタネ棒2本の上に御膳板を載せて神饌を供え、前方の蝋燭立てに和蝋燭2本を点ずる

夏の夜も更け行く23時過ぎ祭典が始まる

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued