般若心経を生きる・・・加藤湘堂⑫
反対に、人に拍手されたいためにつくったものは駄目である
水無月祭では月夜の経験はあまりないが、今年は見事な名月でした
現在のキリコは高さ6mのものが大半だが、往時のものは巨大で6間(10.9m)余りもあり、白木づくりのものが多かった
「般若心経」を書くとなると、たった262文字とはいえ、結構な辛抱がいる。辛抱して一生懸命書いたものは、たとえうまく書けなかったとしても、ああ、駄目だったと、もみくちゃにしてポンと捨てることができない
現在のキリコの倍近いものを担いで練り歩いたというから驚きだ
もう一ぺんやろうと繰り返すうちに、字もよくなり、心も静かになってくる
御神輿の鉾、ショウグリの神事では海水につけて罪や穢れを払う
自分の心を静止させて、呼吸の通りに、すっすっ、すっすっと筆を動かすことができるようになれば、いい写経へと近づいたということであろう
尊利地の子供キリコ、上ダシ後には夕日の絵が描かれ、ナカガミ後には浮き菊水紋が取り付けられている
たとえば、あの人が俺の悪口をいったなどと考えていては、絶対にいい字は書けない
住吉神社のクロマツに名月
ただ一生懸命、何千何万という字を書くうちに、自然といいものが生まれてくる
総社の手前から走り出すキリコ
さらにいえば、一生懸命書いているうちに、だんだん誰かに導かれて書いているような状態になることもある
掛け声をかけながら、約50メートルを3回くらい往復する
たとえば絵を描く人でも彫刻する人でも、何かに導かれてよい作品ができたというようなことをいうことがあるが、私の場合でも、自分の体力ではとても書き得ないというようなものが、とっとっ、とっとっと、何かの加護によって何千、何万と一気に書きあがってしまうことがある
勇壮な乱舞に境内から歓声が沸き上がる
そういう時には、いいものが生まれてくる
待機場所に落ちつくと、今度は御神輿が総社正面入口へ勢いよく走りこんでくる
写経の功徳というのは、自分がそこに一生懸命心を込められたという満足感にあるのではないかと思う
台車から外し担ぎ上げます
また、これは俗なことかもしれないが、自分が書いたお経がどこどこの寺に納められているということがいつも心にあれば、自然と心の救いにもなる
肩の高さが合わないととても辛いです
以下に写経するか
写経などでも、初めに、具体的に墨をどういうふうに擦るかとか、どういう筆を使ったらいいかとか、紙はどうしたらいいかといったことばかり気にする人がいるが、とにかく初めは書くことである
肩の低い人は手で持ち上げていますが、前後の人が大変です
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より
to be continued











