般若心経を生きる・・・加藤湘堂⑩
書は心であり、人間である
俗なことをいうと、私も、書人以外の書に憧れて、あまり職人的にはなりたくない、なりたくないと思ってきたが、書の世界にいるうちにだんだんと書家の字になってしました
小生も中学3年間、このキリコを担いだ
要は書は形ではない。心であり、人間である
社会人になってからは、御神輿人足を何回もやった
そういう意味では、会津八一などは、人物が優れていたからこそ、写経にしても立派なものが生まれたのであろう
ヒカエ縄も経験している
担いでいた頃は、キリコがよく傾いた。キリコを倒さないためにヒカエ縄の役目は重要です
高村光太郎は、会津八一と同じ年に亡くなったが、この人の「般若心経」また素晴らしい
前後の責板と、6人の担ぎ手が一体にならないと担ぎ上げられない
高村光太郎は彫刻家として有名であるが、詩人としても「智恵子抄」が知られており、書についても晩年は個展を開くくらい勉強した
子供の頃は先頭を大人キリコが、次いで子供キリコ、御神輿、大人キリコの順で村を巡行して、住吉神社へ向かった
高村光太郎の弟に、金工家で高村豊周という人がおり、二歳の娘を亡くしている
少子高齢化で、今年は子供キリコ(3町合同)1本のみ
その姪の供養のために光太郎が書いた「般若心経」がある
白山神社鳥居
光太郎の「般若心経」は、紫紙に金字で書かれているが、まるで鑿で彫ったような書である
東の空(小田屋町)から月が登ってきた
識者は「耕し」深い字と呼んでいる。先に述べた良寛の「般若心経」はけた外れに高い境地にあるが、それに準ずるのが高村光太郎ではないだろうか
祭り笛の吹き手も少なくなった
指先、手先ではなく、人間性で字を書いたからこそ、人の心を打つ立派な写経ができたのだろう
子供の頃、通りには夜店が並んだが、今は1軒も出店はない
しかし、それでは人物が出来なければ写経は出来ないのか、人物イコール写経なのかと誤解しないでほしい
ヒカエ縄は前後左右4人が担当
打ち込むことで心も浄化される
このごろは写経ブームになっているといわれ、北は北海道から南は九州まで、写経会をやっていない寺院はないほどである
沿道の見物人もまばらである
青文字は、1993年11月号「プレジデント」より
to be continued











