般若心経を生きる・・・加藤湘堂⑥

しかし、あの清盛が書いた真筆が今日残っているということだけでも非常に尊いことである

7月15日12:26分、クマザサ帯が拡がる太古の辻を下る

他にも厳島には、紺紙金泥の「法華経」がある。詳しくは「法華三部経」といい、開結経つまり初めと終わりのお経を入れて十巻からなる

磐に根付いた樹木

普通「法華経」は八巻なのだが、「法華三部経」になると、開経の「無量義経」と結経の「観普賢経」が加わるからである

大日如来像が立つ大日岳

「法華三部経」は、清盛と、弟の頼盛が書き、厳島に納めたもので、現在国宝となっているが、細かいことをいうと、清盛が書いたのは十数行だけで、後の大半は頼盛が書いたものである

峻険な岩峰

この「法華三部経」の清盛の字も、「般若心経」と同様、たっぷりとしたいい字である

木段を沢に降りる

頼盛は清盛の異母弟だが、頼盛のほうが清盛より人物が小さいようで、字も比較的小振りである

13:23分、二つ岩

頼盛の字も決して悪くはないが、やはり清盛のほうが一回り気宇が大きい。書はその人を表すというが、清盛の字には、公卿のようなおおらかさがある

トチの巨群帯

平家一門は、戦いばかりしていたわけではなく、書も絵もうまく、文芸に秀でた面を持っていた

水のない渓谷

「平家物語」の写経や扉絵や見返しは、平家の女房たちや娘たちが描いたのではないかと伝えられている

テープが目印です

清盛の父、忠盛が書いた紺紙「阿弥陀経」が五島美術館に遺っているが、この字もまた実にいい

森の主が見守る

平家一門すべて能書の人だったのではないかと思われるが、中でも清盛は最たる能筆である

14:23分、小仲坊下山

前日のアドベンチャーが祟り、体が疲労していたこと。出発予定が2時間遅れの7:30分だったこともあって、この日は釈迦ケ岳登頂を断念。深仙ノ宿で引き返しました。本番では5:30分スタート、下山予定は15:00分です

先に、天平の字というのは「職人的達筆」であると述べた。私は、平安時代の公卿の字を「公卿的能書」と呼んで、いわゆる達筆と区別している

山頂の釈迦如来像は大正13年7月、大峯講「大正仏立会」によって建立された立像

平成19年8月、建立から83年を経て倒壊のおそれがあり、全国の寺院や信者の皆さんのご芳志により修復されました

「達筆」は職人的なものだが、「能書」はいい字という意味で、私としては能書のほうに引かれる

大正13年、強力・岡田雅之(当時37歳)により、前鬼口より3分割して担ぎ上げられた。大日岳の大日如来、掾の鼻の蔵王権現も岡田雅之が担ぎ上げたといわれる

大峯奥駈道では釈迦誕生の地とされる「仏生ケ岳1804m」に対し、「釈迦ケ岳」は「釈迦入滅の地」とみなされている

2015年7月20日に登った時の写真です

埋標(「一等三角点)は明治20年11月23日

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued