般若心経を生きる・・・加藤湘堂②

隅寺心経を単に天平時代のお経として誰が書いたかわからないというよりも、空海の筆ということにすれば、人は尊いものとしてそれを扱うし、写経というものが有り難く感じられる

森の主

また心経を書く場合でも、これは空海が書いたものであるというふうに見なして書いたほうが、感銘が深いということもあるから、おのずから隅寺心経が空海の筆として、今なお伝承されているのである

個性的な姿を見せてくれる

もう少し専門的に解説すると隅寺心経の中に、天平勝宝7年(755)の「料」と書かれてものがある

迷い込みやすいので、標識やテープ、ロープなどを見落とさないよう注意が要ります

スギ林が尽きると、トチの巨木などが生い茂る原生の森となります

となると、これは空海が生まれるより約20年前のものである

森が深いので苔が目立ちます

それだけでなく、つぶさに見ると、天平勝宝7年の「料」以前の書風と思われるものと、以後と思われるものとがある

853段の木段が設置されています

つまり奈良時代に書かれた般若心経全てに隅寺心経という名前がついてしまっていることになる

きついけれど有り難い、感謝して登ります

なお詳しく言えば」、同じ隅寺心経でも、天平勝宝7年の年号以前のものは中国の隋、唐の書風だがそれ以後のものは後の大聖武や賢愚経といった写経の影響を受けている

前鬼裏行場へ向かう途中にあった「閼伽坂峠」に至る尾根道

このことから、隅寺心経の中でもおよそ50年の年代の開きがあることがわかるが、それが全部空海の筆になってしまっているのである

尾根への下降口

しかしいずれの隅寺心経も、書法上で俗にいう三過法で書かれている。テンと起筆し、スーと筆を運んで、トンと押さえる

クサリを掴んで降りる場所

3つ過ぎて行く法という意味で三過法というのである。つまり非常にしっかりした起筆、送筆、終筆があり、きちんとした点画で書かれているため、誰もが習いやすい

大峯にきたなあ~と実感する場所です

隅寺心経は空海の真筆ではないと述べたが、同時に、一般の人あるいは僧侶によって書かれたものでもない

高さ8m程の岩が立錐しています

ベテランの写経生の字である。写経生とは、長い人では20年、30年と、お経を書いている写経の専門家である」

33番靡「二つ岩」、仙人が舞う地とされる岩の舞台です

釈迦ケ岳の遥拝所で、不動明王の眷属(けんぞく)である矜羯童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)とされる

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

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