般若心経を生きる・・・高田好胤⑬
いくら偉そうに理論理屈でもっともらしくきれいごとをならべても、所詮人間のすることは「断ち割りて、見れば色と欲との、わが心かな」です
7月15日5:05分、前鬼の里
わが心を知らず、思い上がっている私どもがいかに遍計所執の凝り固まりであるか般若心経の「一切の顛倒夢想を遠離して涅槃を究竟す」なるおさとしに今、私どもは真摯に気づかねば、このままでは、世は地獄へ真っ逆さまに直進です
日本遺産「前鬼山集落跡」、平成28年4月19日に認定された
これを、私たち人間は顛倒していますから、気楽にもそれが幸福への進歩だとばかり思っていられるのです
役行者(小角)が大峯山を開いたとき(白鳳3年・676)、その弟子、義寛と義賢の夫婦が修験道の行場守護の命を受け、この地(前鬼)に住みついた
彼岸に空なる世界、この涅槃を究竟するには実に三大阿僧祇却(さんだいあそうぎこう)という期間を要します
この夫婦に5人の子(五鬼)があって五鬼熊(行者坊)・五鬼童(不動坊)・五鬼助(小仲坊)・五鬼継(森本坊)と称し、代々館を構え連綿として、この修験道の聖地を守護してきたが、時代の変遷とともに、明治の末期から次々と姿を消し、今はわずかに五鬼助(小仲坊)だけが残って、1300年の法灯を護っている
今日読んだお経で、明日にご利益(りやく)がいただけるほどわれわれの罪は単純ではない
かっては田んぼや畑であったところ
むしろご利益にあずかることのできない、自らの業の深さを思わねばなりますまい。却は永遠ということ、阿僧祇は無数です。無限、無数の永遠です
今はテント場となっている
その時間が私どもの彼岸への修行の期間です。永遠なるものを求めて永遠に努力する人、それが菩薩です
1組2張のテントが張られていた
私どもはとかく利潤、利益を追求に邁進します。そして自分の目の黒い間にこの目標を達成しようというのが一応の努力目標であることは結構ですが、それだけでは短兵急のせっかちであり、自我とエゴイズムの行いになりかねません
燃料に使われる薪
むしろ永遠に未完成なるものに、営々努力を捧げることが大切なことであり尊いことだと思います
貯水タンク
永遠に未完成なるものに打ち込むことができる人が、世の中の大事なお方です
この日、行者30名は3時起床で3時半過ぎから行者堂前に集い勤行を始められた
後任の人、さらに後の後任の人、さらに後の後の後任の人、その後々に花が咲き、実を結ぶ、そうしたはるけき彼方に努力できる人こそ尊い人です
厳粛な出で立ちで諷誦(経文や偈頌を声をあげて読む)し、真言を唱え、観音経をあげ、最後に般若心経を読誦された
同じ利益と書いても、利益(りえき・漢音)と利益(りやく・呉音)では、発音が違うのみならず内容も違います
荘厳の響き、輝きであった
リエキとリヤクをよく調和させてこそ、経営者も良き経営者であると言えましょう
行者の皆さまが仏様かと錯覚に陥った
リエキと読めばなりわいという意味になります。それがリヤクと読むと御をかぶせて御利益となります
写真に収めたい衝動にかられたが、実際はカメラを構えることができませんでした
意味内容が大きく変わってきます。御利益は神佛の御慈悲を頂戴することでありますが、本来は世の人々に安楽の恵みを施与することです
4時過ぎ、一行はへッドランプを灯して前鬼裏行場へ向かわれました














