般若心経を生きる・・・高田好胤⑪

その真実の何一つをも聞くことのできない、見ることのできない、語ることのできない私どもに、「真実のひとつにめざめてくれよ」と、5回言ってもわからない私どもに10回、10回言ってもわからない私どもに20回と、繰り返し繰り返し、耐えて導きくださるのがお釈迦様であります

3時間ほどアドベンチャーしました

沢登り2本、尾根登り2本、大峯の核心部を見たような気分になりました

それがお経に辟易するばかりに繰り返しが多くなる所以です

もちろん、道や踏み跡はありません 

佛教では「無」や「空」とかで随分打ち消し、否定が語られます。しかし、この空や無は、決してあるものをないと無理やりに否定するものではありません

あるのはケモノ道だけ

本来ありもしないものを、実在しないものをあるがごとくに思い込んで、それにとらわれている固執を否定するのが「無」であり「空」であります

標高850mまで直登した

人は自分の思い込みに凝り固まってしまう、これを固執といいます

大峯奥駈道の稜線が見えた

この固執の沼に、はまり込んでしまって、身動きできない私どもです

ズームアップ

この固執から解放されることを解脱といいます。凝り固まっているということにまず気づくことです

18:28分、閼迦坂峠へ戻る

陽が暮れないうちにと帰路を急いだ

独影境(どくようきょう)と言いまして、独りよがりの世界に暮らしている私どもなのですが、その自分に気づかないで生きているのです

実写の明るさほど森の中は足元が見えにくい

ですから自分は正しいとばかり思いこみ、自分の間違っていることに気づかない、自分をうそと思わないで本当とばかり思っている者同士ですから、正義と大義が対立してぶつかり合いが続きます

18:52分、小仲坊へ無事帰還

行者の皆さんは、夕食を終え、すでにお休みになられていた

何しろ、金峯山寺を3時に出られたのですから

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued