同郷の深田久弥は1903年(明治36年)生まれ、1971年(昭和46年)山梨県の茅ケ岳登山中に脳卒中で急逝

6月3日9:23分、下山前にケルンで撮りました

戒名は慧岳院釈普宏

横岳・赤岳・阿弥陀岳三座揃い踏み

大正15年、深田久弥が東京帝大1年の時、後輩の一高生2人と八ヶ岳を縦走し、最後のピーク硫黄岳北面の火口岩壁をグリセードで降りている時に、後輩の1人が墜落死するというカタストロフィーがあった

赤岳山頂は石畳の平原になっている

昭和5年、東京帝大を退学し文筆家となる

9:23分、硫黄岳下山開始

昭和10年、日本山岳会に入会

山腹が白っぽくなっているのが赤岩ノ頭

昭和24年、錦城山岳会を結成し理事となる

ガレ場です

昭和34年ー昭和38年、山と高原で毎月2山の連載を50回行い、新潮社から日本百名山を出版

キバナシャクナゲ

昭和39年、日本百名山で第16回読売文学賞を受賞

弥陀岳と横岳を従える八ヶ岳の盟主「赤岳」

昭和43年、日本山岳会の副会長に就任

大同心、見る場所によって変化します

昭和50年、加賀市の名誉市民に選ばれる

大同心、小同心、奥ノ院

茅ケ岳登山口に「百の頂上に百の喜びあり」の顕彰碑が建っている

硫黄岳南面には溶岩の塊がごろごろ

最初に登った山は、12歳の時に登った郷里の富士写ケ岳942mであった

鞍部の大ダルミ