般若心経を生きる・・・松原泰道⑫

『般若心経』はどんな場合にも退嬰的(たいえいてき=進んで新しいことに取り組もうとしないさま)にならずに前へ前へと進んでいく教えです

6月2日14:36分、北側斜面に残る雪

西洋哲学では、アウフヘーベンとか止揚という考え方があったけれども、古代インドでは、そうした発想がなかったので、「不」や「無」という否定的な用語で論法を進めたといわれます

左に堕ちたら助かりません

要するに「不」も「無」も、西洋哲学でいう止揚とか昇華といった言葉にあたるのです

岩の間から阿弥陀岳

昇華というのは、気体が液体を経ずに固体になるとか、個体が液体にならずに気化する現象をいうのですが、こういった器用な言葉を古代インド人は知らなかったものですから、まどろっこしい表現を使わざるを得なかったのです

東はハイマツ帯

ありのままの現実を確認して、その事実に執着したり、心奪われることなくより高い立場で相対的なものを統一して価値づけていく

南沢を見下ろす

私はこれを「不」の思想と申したい

半分くらい降りたところで、赤岳山頂山荘を振り返った

マイナスの価値をどうプラスの価値に変えていくかを、「不」や「無」で置き換えた古代インド人の深い思索に本当に頭の下がる思いがします

北方には、明日縦走する稜線と横岳が見えて来る

さて、今回は「不」という言葉で「空」の思想を説明させていただきました

足場に雪が残る

『般若心経』を道しるべとして、「空」の原理を、観念でなく何らかの形で体験として学ぶことが出来れば、私たちは表面的な現象にとらわれて神経をすり減らしたり、いらいらすることもなく、心身ともに安らかに日々を暮らすことができるようになるのです

地蔵ノ頭、二十三夜峰が迫る

心の自由を得る教え

私がこのように申しますと、皆さんは「物事に執着するな」ということであろうと、先取りするかもしれません

左後方に阿弥陀岳

しかし、そうではないのです

「とらわれるな」「執着するな」という命令ではなく、むしろ肩の力を抜いて「執着なんかしなくてすむ智慧」を身につけることをすすめるのです

行者小屋をズームアップ

そうでないと、まことに窮屈な教えになってしまい、せっかくの心経のこころが、つかめなくなってしまいます

ここからは急坂となります

青文字は、1993年11月号「プレジデント」より

to be continued

将来、読み直そうと取り置きしていました