桜が見せる「生と死」
仏には桜の花をたてまつれ我がのちの世の人とぶらはな(西行)
天守台より堀端の満開の桜
いかで我この世のほかの思ひでに風をいとはじ花をながむる(西行)
東方面、若草山・春日山
天守台を取り囲む数珠玉
吉野の歌人、前登志夫は生涯を通じて花の歌を詠んだ。4月の初めに亡くなる数日前にも、車窓から広橋峠のしだれ桜を、自分を看取るようにながめていたという
城址会館
それから10年が経った。花と言えば西行の歌を思い浮かべる
天守台のたそがれ
桜を見て、もっぱら感じるのは死と再生の予感であろう
柳澤神社
時間が遠くに去ってしまうような疎外感ではなく、またもとの位置に時間が戻ってきたような生命の再来を、私たちは感じる
薄暮に浮かぶ
散っていく花とともに、やがて死んでいく自分や、肉親の姿を知らぬ間に想起してしまう
この相反する感性は、おそらく日本人特有のスピリットであろう
文武両道・郡山高校
桜が咲き、ほどなく散ってしまう過程において、私たちはほぼ無意識裡に死と再生の予感を灼きつける
南側の堀
青文字は、奈良新聞「明風・清音」・・・中井龍彦氏より









