人生の本舞台は常に将来にあり・・・尾崎行雄

現在の成功に満足してしまえばさらに大きな仕事はできない

葛城高原の夜明け

今はどんな苦境にあろうとも、貴重な試練と思えば前に進める

日の出の際に湧き出る瑞雲

「人生の本舞台は常に将来に在り」。その言葉は慢心する者を戒め、失意の中にあるものを奮い立たせる

雪だるまも寒かろうに

晩年94歳になっても震える筆で、この言葉をしたためたという(号は咢堂)

凍てつく高原の朝(氷点下8℃くらいでしょうか)

明治23年(1890)の第1回総選挙から連続2回当選、昭和28年(1953)まで63年間衆議員を務めた

祥雲

議会政治の父、憲政の神様と呼ばれるのは、記録的な当選回数と在任期間の長さゆえではない

ご来光が一面を照らしだしました

藩閥や軍部など、議会をないがしろにする勢力と常に対決してきたからだ

神々しい朝の光り

それは、どんな弾圧を受けても尾崎を衆議院に送り出してくれる強固な地盤があってこそできたことだった

日輪を背に受けて

選挙区は三重県南部、現在の伊勢市で父が官吏として赴任したため、伊勢神宮ゆかりの「豊宮崎文庫」で学んだ

光芒一閃

その時に自由民権思想に触れて衝撃を受ける。伊勢で政治に目覚めた

荘厳の光り

市内を流れる宮川のほとりに、尾崎咢堂記念館が桜並木を見守るように立っている

蒼茫たる平原

「日本中を相手に政治の理想を説く尾崎は、伊勢の誇りだった。落選させるわけにはいかないと、皆が手弁当で応援したんです」

1日の始まり

昭和の初め、尾崎は盟友の犬飼毅を5.15事件で暗殺され、療養中の夫人も亡くし、自身も病床に伏して打ちひしがれていた時、まるで天啓のように「人生の本舞台はー」の言葉が頭に浮かんだという

エネルギーが動き出す

軍部の台頭に無力感を抱えていた尾崎は、闘志を取り戻していく。自らがまず、この箴言によって失意の底から復活したのである。70代なかばのことだった

青文字は、読売新聞「名言巡礼」より