ふじはらのおほききさきをうつしみにあひみるごとくあかきくちびる・・・会津八一が光明皇后を詠んだ歌

2月の法華寺は、まことに春は名のみであるが、本堂の中は慈愛に満ち溢れ、あたたかな祈りの世界が広がる

2月18日12:46分、四国山展望台にて

会津八一が「おほききさき」と詠んだのは光明皇后のこと

大川分岐(大川集落と深山からの合流点)と高森山の稜線

慈愛に満ち、聡明で光り輝く美しさに「光明子」とも呼ばれたその姿を写したのが法華寺の本尊(十一面観音像)

加太(沖ノ島・地ノ島)

夫・聖武天皇が全国国分寺の総本山として東大寺と大仏の建立を始めると。光明皇后は国分尼寺の総本山として法華寺を建立する

加太湾と加太港

左奥は沼島

今は総国分尼寺の壮大な伽藍の面影はないが、いかにも尼寺らしく、境内はどこも掃き清められ、慈しみ深く、清楚な佇まいである

鉢巻山131mの奥には紀伊水道が広がる。この海を義経派の熊野水軍団が夜に小松島へ漕ぎ渡たり、勝浦を経て明朝壇ノ浦の平家軍を攻めた

730年、政情不安、飢饉や蔓延する疫病に日本中があえぐ中、光明皇后は貧しい病人や老人、孤児たちのために、施薬院と悲田院(病院)を開かれた

和歌山工業地帯

皇后は私財を投じて薬草を集め、無償で病人に施され、ここ法華寺には浴室(からふろ)を建立され、薬草を煎じたその蒸気で難病者の救済に当たられた

和泉山脈(大福山・俎石山・雲山峰などが連なる)

千人の民の汚れを拭うという願をお立てになられた際、千人目の人は皮膚から膿を出すハンセン病者であった

展望台から見下ろす

膿を口で吸いだしてくれるよう求められると、皇后はためらうことなく病人の膿を口で吸いだされた

Fh氏とツーショット

耀君登場

すると、たちまち病人は光輝く如来の姿に変わったという

青空に耀く

青文字は、奈良新聞「たおやかな風景」中橋怜子さんより