こころの玉手箱「半刻」
京都で400年続く茶家・久田家12代当主・尋牛斎宗匠の書
丸山2420m、遮るものはなく眺めが良い場所
自宅で茶室を構えるにあたり、名前を「半刻庵」と決め、宗匠にこの揮毫をお願いした
黒い白馬岳
表千家に眠っていた古文書が段ボール箱に15個ほど見つかり、表千家の千宗員若宗匠を中心に研究会が設けられることになった
丸山ケルン
この文章から色々なことが見えてきた
牛首~大黒岳~五竜岳~鹿島槍
利休と秀吉の関係。利休は秀吉のために京都の政庁兼邸宅「聚楽第」に茶室を造ったが、秀吉が「狭すぎる」と造りなおさせたなどの伝承が記され、天正15年(1587)には2人の間に溝ができていたことが分かった
鹿島槍北峰&南峰
私の茶室の名前を「半刻庵」にしたのは憧れていた宗匠の茶室「半床庵」から「半」の文字をいただきたかったのと、自身はまだ未熟との思いからだ
白岳~五竜
「半刻」の書は私にとって宗匠そのもの。床にかけて正対すると宗匠に見つめられている気がする
昭和36年にこの場所で遭難した方の追悼のために建てられました
宗匠に初めてお目にかかったのは、私が京都大学人文科学研究所に助手の職を得たころ
国鉄大宮工場山岳部とあります
久田家は江戸時代から、千利休を祖とする茶家、表千家を支えてきた
永眠
宗匠ご自身は終戦の翌年、若くして久田家を継ぎ、ご苦労が多かったと思う
今では登山者のポイントとなっています
だが、そうしたことは微塵も感じさせず、洗練された柔らかな物腰
ダケカンバの皮はお盆の迎え火・送り火に使われます
京都で言う粋を体現する方だった。茶人として重きを置かれたばかりでなく、研究も重視された
扇雪渓
周りは灌木帯です
青文字は、日経「こころの玉手箱」MIHO MUSEUM館長・熊倉功夫より












