心のコンパス

正法眼蔵随聞記に学ぶ

人は皆、一生に用いる衣料や頂く食料というものの分量がそれぞれに決まっていて、欲しいと思っても都合よく出て来るものではないし、求めないからといって得られないものでもない

なだらかな八方尾根

一生に得られる衣料・食料は生まれた時点で決まっているという話は、逆を言えば、それは自分の都合や願望でどうこうできるものではないということですね

ハクサンシャジン

何かにつけて、必要な時にはないのに不必要な時にはやたらとある、という現象に頭を抱えることは誰しもが経験のあることではないかと思います

白馬鑓ケ岳

つまるところ、得られる時には得られるし、得られない時には得られない、それだけのことなのでしょうけれども、そこにこちらの都合や願望を持ち込むと、それが苦悩の原因となってしまうのだろうと思われます

厳しい環境に凛として咲く

道元は、一般世間の在家の人であっても、最終的には運命に任せることを覚悟しつつ、忠義を尽し孝行を実践するものであると言われます
池の畔に咲く

忠義や孝行というのは儒教の流れを汲む言葉ですから、仏教から見ればやはり世俗の思考ということになります

グラートクワッド

「学ぶ」とは、知識として知るだけでなく、身につける、実践するということです

所要5分

人事を尽して天命を待つ。最終的な結果は人知を超えた天の意志にかかってくるわけですが、忠義や孝行といった人知の及ぶ範囲のことは可能な限り努力することが美徳とされます

アルペンリフト駅

そこには、天が全てを知っているのだから、余計なことは気にせず、人間は出来ること・すべきことをひたすら全うせよ、という考えが見て取れます

ハクサンボウフラ

世俗においてすら、そういう美徳があるのだから、まして出家者たるもの、衣食のことなど時の流れに任せれば良いのであって、仏道修行以外のことを気にする必要など全くないのだ、と道元は言われている

ひと財産築き上げたとしても、いざ“死ぬ”という時に、何かの役に立つでしょうか?「無常忽ちに来たらん時」とは、今まさに死ぬということを意味します

降車駅から約5分

「無常」とは基本的に物事が常に変化していることを指しますが、私たちがもっとも切実に無常を感じる時は“死”でありましょう

アルペンクワッド

「修証義」にも無常忽ちに到る時・・・珍宝たすくる無し」とあるので、聞き覚えのある方も多いかと思います

うさぎだいら駐車場

財産など死ぬ時には全く役に立たないのだから、仏道を学ぶものは他のことなど意に介さず、ひたすらに仏道の実践に専念すべきなのだと道元さまは示されるのです

野菊のような花が群生

山野草が群生する草原を空中散歩

ゴンドラリフトアダムに乗り換え(所要8分)

八方駅にゴール

9:50分、八方駅770mにゴール(所要8分)

八方池山荘1830mから標高差1060m・長さ3445mを20分で下山

青文字は、「禅の友」8月号「心のコンパス」より