流れる星は生きている・・・①
戦後の引き上げ・・・藤原正彦(新田次郎次男)
満州脱出母の願い
学び舎・旧南志見中学校舎。テストの結果は校内で成績順に張り出された。3年の時、理数系授業は成績順班編成だった。小生はファーストクラス5人の中に入っていた
お前はまだ幼くて、この本に出てくることは何も覚えていないでせう。でもお前はほんとうに強かったのだよ。そして、一生強く生きるように、お母さんはそればかり祈っている。母
体育館
冬はグラウンドを裸足で走らされた
母親・藤原ていは、引き上げの苦労がたたり心臓を病んでいて、これを遺書として大学ノートに書いた
15:00分、花火を合図に各村の人足が集まってきます。暑いこともあって見物者はほとんどいません
私は満州の新京を出た時が2歳だから、本当に何も覚えていない。何があったかを子供に伝えようと、書いたわけです
御仮屋での神事が終わると浜へ降ります
初めて本を読んだときは、びっくりして涙が出た。これほどまでに、ああこういうことだったんだと
鉾持ち役が鉾先を海水につけます
凍死寸前で全身紫になった私を、北朝鮮の農家の戸をたたき、一杯の湯で体中をこすり続けて蘇生させた母
ショウグリバで神事が始まります。2本の忌み竹を挿し注連縄が結ばれている
ゴミ箱からジャガイモの皮を拾う。死ぬか生きるかの生活。赤土の泥に滑り滑り超えた38度線のはげ山。本当に母に生かされたんだなと
橋の上から撮る。見た目では人口が減っている実感がわかない
敗れた足の裏の肉の中に小砂利がめり込んで地と泥とで固まっていた。正彦の小さい足は私よりひどく傷ついていた
左から、尊利地、里、住吉、小田屋の御神輿が並ぶ
この足でこの子に山を越えさせねばならない・・・
痛い痛いと泣く正彦を蹴飛ばし、突き飛ばし、私は狂気のように登って行った
6名の宮司と15人の村役
1949年に本は出版され、大きな反響を呼んだ。当時の多くの引揚者が、皆似たような経験をしていた
猛暑の中、羽織袴姿は大変です
あまりにもひどい体験をした者は、親族、家族にさえ語れなかった。そんな人々が、半ば自分の記録として読んだからだ
村を離れた方々にも無病息災のご利益がありますように!
私はそこに、引き揚げという修羅場を通して貫かれた、激しいほどの家族愛を見た
ミニキリコも動員されていました
子供だけは何をしても生かすという、母親というものの気迫と強さ
中川宮司さんが村役にお礼を申し上げ、渚の神事は終わります
青文字は、8月14日付読売新聞「戦後の引揚げ」より












