戦後72年、語り継ぐ・・・岡野弘彦(歌人)・・・③

特攻機つらねゆきたるわが友のまぼろし見ゆる天のたづむら

亡くなった兵隊を安置して、2人が衛兵に立ちました。屍衛兵というんですよ。悲しい言葉ですね

どんぐりの道・堰堤

米軍の上陸想定地だった霞ケ浦周辺の海岸で、塹壕暮らし。湿気が酷く、疥癬に悩まされました

ケヤキ

霞ヶ浦には、昔ながらの帆掛け船が浮かんでいて夢のような光景です。爆弾を身に巻き、タコツボ壕に身を潜めて米軍の戦車の下で自爆する訓練をしました

森の芸術

日本の特攻精神というものが、今も世界に影響を与えているのだと思います。ずいぶん悲しいことです

城ケ丘広場で休憩

アカシデ:ケヤキに似ているがケヤキほど大きくならない

地に深くひそみ戦ふタリバンの少年兵をわれは蔑(な)みせず

ホオノキ

ただよう人魂

兵隊に行くときは、文庫本の万葉集と、国学院教授の折口信夫(しのぶ)の詩の写真複写を持っていきました

中央には桜木 

学徒出陣に際して折口が詠んだ「学問の道」

「汝(いまし)らの千人(ちたり)の一人ひとりだに生きてしあらば、国学はやがて興らむ」

ダンコウバイ:葉が特徴的で黄色い花をつける

手の本をすてゝたゝかふ身にしみて恋しかるらし学問の道

カツラ

一人でも生きて帰ってくれ。本を捨てて戦争に行く身に学問が恋しいだろうなあ、という詩です

どんぐりの道を歩く

ぼくらの悲しみを、こんなにわかってくれる先生がいるのかという気持ちがありました

終戦後、9月末ぐらいに郷里に戻りましたが、気持ちが落ち着かず、伊勢、志摩、熊野を旅しました。気持ちが落ち着いて、大学に戻り、折口の短歌結社、鳥船社に入れてもらいました

もみじの道を下ります

先輩も戦地から戻っていませんし、先生も栄養失調から足を引きずって歩いていました

12:19分、親水広場へ降りました

青文字は、8月15日付読売新聞より