戦後72年語り継ぐ(岡野弘彦さん・歌人)・・・②

枕木をかさねし上に友のむくろつみあげて火を放たむとすうる

戦争体験のあるものも少なくなってきました。私も歌を通じて戦争体験を伝えていかなければという思いが強くなっています

訪ねるとしたら新緑か紅葉のシーズンですね

昭和18年秋、学徒出陣始まる。翌年の春、大学までの通学路で、同級の板倉震君と一緒になりました。「我々が命を犠牲にしても、戦場に行って戦うよりほか、日本を守る方法はないだろう」という話になり、彼は「陸軍特別操縦見習士官に志願する」と言い出しました

巨樹

陸軍特別操縦見習士官:高等教育機関からの志願者を、航空機の将校操縦者として登用した制度。急いでパイロットを育成するための制度で、沖縄戦などで特攻死したものが多かった

亦楽山荘とは演習林全体の名称で、中国の詩人・蘇東坡の漢詩の一節から名づけられた

案内図を使って解説するH・Yリーダー

私も共感し、三重県の郷里の役場に書類を申請したのです。慌てて上京してきた父に、私は「友達と約束している。いま、僕たちが命懸けでやらないと、どうにもならないところに戦局が来ていると思う」と話しました

笹部新太郎:日本古来のヤマザクラ保護育成に生涯をささげた

父は引き留めにかかるけれど、今さら考えは変えられない。明け方になり、父は「勘当する」と言い出しました

遺族からの寄付により「桜の園」として発足

私は志願をあきらめ、「早晩、赤紙が来るだろうから普通の初年兵として入隊する」と約束しました

隔水亭は桜の研究室で、現在の建物は二代目

板倉君は陸軍特別操縦見習士官に志願し、45年4月、沖縄方面で特攻死を遂げました

笹部新太郎は日本古来種の保護育成に尽力し「桜博士」といわれた

現在は宝塚市・櫻守の会が管理

彼は母子家庭の子で、引き留めるお父さんはいません。彼の写真と遺書が鹿児島県の知覧特攻平和会館に展示されていて、時々、会いに行きます

コナラ三兄弟

知覧の北、鶴の飛来する出水にも特攻基地があり、幾度か訪ねました。飛んでいく鶴群(たづむら)と特攻機のイメージが重なりました

落葉広葉樹の育成

45年1月に召集され、部隊で移動中に、東京で空襲に遭ったのです。その後、茨城県の飛行場で、幹部候補生としての訓練を受けました

一旦沢に降りる

10代の少年航空兵と一緒の兵舎です。演習の最中に突然、米軍の戦闘機から機銃掃射を受けました

2班の長い列

反撃する飛行機もすでになく、草陰に逃げるしか手段がない。少年航空兵が1人、幹部候補生が1人亡くなりました

登り返し

文字は、8月15日付読売新聞より