故郷の、母校の英雄「山中毅」

世界記録を何回も塗り替え金メダルが期待されたが、オーストラリアのマレー・ローズ選手に敗れ銀メダル4個に終わった

コナラ、リョウブの雑木林を桜の園に向かって下山

「銀4つもいらない。金の1つでいい」は本音だったと思う。31年メルボルン、35年ローマ、39年東京と五輪3大会の競泳代表。水泳日本を背負って出場したが、ローズ、コンラッズ両選手と激しく競ったが金メダルを取ることが出来なかった

この日、初めて登山者に出会いました。15人ほどの団体でした

ローマ五輪を控えた米国遠征時には、その強さに、金メダリストのローズ選手の方が同じ時間の練習を避けたという逸話が残っている

宝塚・桜の園「亦楽(えきらく)山荘」地図

五輪の悲運の一方信じ難い強運も。米国留学中、コンラッズ選手と南米に招待されたが、2人とも帰国便に乗り遅れた。ブラジル美女に見惚れて、とは冗談だが、乗るはずの飛行機が南米の山中に墜落、全員死亡した

3班のまとめ役H班長

大惨事を逃れたのは他にもある。41年の羽田沖、松山沖の全日空墜落事故も飛び立つ前に友人と出会い、搭乗をキャンセルして助かったという

若さと笑顔がこぼれるYさん

喉を切開して最後は筆談だった。1月早稲田大の後輩で身長193センチの渡辺一平選手が世界新を出した。「世界に勝つためには大型選手出ないと」と喜びをつづった

Sさん、下りになり思わず笑顔(^^♪

170㌢で、弱みを見せないためにプールサイドでつま先だって歩いた経験が書かせたのだろう

六甲最高峰を眺める面々

シャイで人情に厚かった。オーストラリア両雄との友情は終生続いた

E・Oさんの黄色い手袋が映えます

ローマで「金」を取らせてやれなかったことを悔やんだ選手団コーチが贈った金のネックレスを長く身につけていた

足元には様々なキノコが生えていました

ライバルだったローズ、コンラッズとの交友は終生続いた

標識や登山道が整備されており迷うことはありません(登山口は分かりにくい)

今年2月10日、78歳で死去。従弟の山中登志昭氏(水泳選手・小生と同級生)も数年前に亡くなられた

桜の園

世界記録を5度も塗り替えた200㍍自由形が五輪種目になったのは現役を引退してからだった

卓やイスがありましたが、あまり使われていない様子

子供の頃、新聞で市民ら500人が山中選手の実家までちょうちん行列をし、花火も打ち上げられたという記事を見た記憶がある

青文字は、奈良新聞参考