江戸時代の自治都市今井

幕藩体制で郡山藩等に入った事もありますが、約180年間は天領でした

春日神社境内

しかしながら、自治の気風は強く、大幅な自治的特権が許されていました。町政は、今西、尾崎、上田氏の惣年寄を中心に組織され、司法、警察権の一部を握っていました

大樹

また、町民自らが「町掟」を定めて社会のルールをつくっていました

旧常福寺観音堂表門

今井には、近在から多くの商人が移り住み、あらゆる商売が行われ、中でも繰綿・古手・木綿を中心に大いに栄えました

格子戸が雰囲気を醸し出している

その中から豊かな財力を貯えたものも出て、両替商を営み、大名にも金銀を貸すものもあらわれました

瓦と白壁が美しい

寛永11年(1634)には「今井札」の発行が幕府から許可されていたほどでした

中庭(井戸)

このように最盛期の賑わいは、いくつかの俚謡や民謡からもうかがわれます

「大和の金は今井に7分」

町家の構造(夏は涼しく)

江戸時代の初めには家数千軒、人口4千に達する程の繁栄をみましたが、町民は町掟等にによって自らを規制して窮屈な生活を送っていました

冬は暖かい

特に、火災については厳しく定められていました。日侍講や地蔵講などの宗教行事は、唯一の楽しみでした

今井まちづくりセンター

特に氏神春日神社の祭礼でのだんじりは豪快なものでした。町衆文化も発達し、茶道、華道、能楽、琴、書道、和歌などが盛んでした

理髪店も昔づくりです

今井町とゆかりのある「今井宗久」は、堺で商人として活躍するとともに、茶人としてもその名を残しています。現豊田家にあった茶室が、黄梅庵として堺市大仙公園に移築されています

称念寺

かくして、大阪や酒井などととも交流が盛んになり商業都市として変貌し、南大和最大の都市として大いに栄えた

重要文化財

また境とならび自治的特権が認められ町政にあたった

 

今井町の町並みは東600m、南北310m、周囲に環濠土居を築いた城塞都市で、今井商人の生命、財産を守ることに役立った

明治天皇行在所