立冬 今日から立春の前日までが冬

建築物の品格は、人間の人格の如く 

(ウィリアム・メレル・ヴォーリズ:滋賀県豊郷町旧校舎群設計者)

なら・かしはら今井町

かって「大和の金は今井に7分」といわれるほど繫栄した町

現在も500軒もの町家が連なります

伝統的建造物群保存地区とは:昭和50年の文化財保護法の改正によって、伝統的建造物群及びこれち一体ををなしてその価値を形成している環境を保存しようとする制度。今井町は、寺内町として、平成5年12月8日に保存地区に選定されました

旧新町(大工町筋)

今井町が初めて文献に登場するのは、興福寺一乗院の文章で、至徳3年(1386)、興福寺の荘園としてです

室町時代の後期には、この付近に一向宗(浄土真宗)の道場(後の称念寺)ができ始め、旧勢力に何回か焼き払われますが、天分年間(1532~55)頃には、寺内が誕生していたと考えられています

とても暑い1日でした

寺内町今井は、中世の環濠集落を母体とし、天文年間には東西南北の4町ができ、その後、新町、今町が整い、文禄検地の頃には6町が成立していました

屋根に工夫が凝らされている

周囲に堀(約3間)及び土居をめぐらし、9つの門がありました

元亀元年(1570)大阪石山本願寺は、織田信長軍に攻撃を開始します。今井では今井兵部のもと、町を武装化し参戦しましたが、天正3年(1575)に織田信長から赦免されています。その後、武装を解除して在郷町として発展をみます

リンゴ?花梨?

寺内町とは、中世の終わりごろ、浄土真宗本願寺派などの寺院の境内地に築かれた集落で、寺院の四周に堀をめぐらせ、土居を築いているのが特徴です

当時は、裁判や諸公事などで独自に町を運営していました。税制面などの経済的特権が認められて、多くの庶民が移り住みました

一向宗とは、鎌倉時代、親鸞聖人が開いた「浄土真宗」の教えを受け継ぐ宋派。親鸞の没後、八世法主蓮如上人の時、庶民層にもわかりやすく教えを説き、信者が増えました。石山本願寺を中心に広い範囲に拡がりました

織田信長公本陣跡

今西家環濠跡