歴史に学ぶ戦略・戦術のあり方

賤ケ岳合戦は織田政権内での、柴田勝家、滝川一益、羽柴秀吉、丹羽長秀の主導権争い

川並地区から賤ケ岳を望む

同時に信長次男・信雄と3男・信孝の対立でもあった

土手一面に咲くタンポポ

勝家は制夷大将軍足利義昭の擁立を試みていたという

ケヤキの大木

この戦いで、一向宗の本願寺勢力は秀吉方に与すると申し出ている。秀吉は称賛し、柴田領の加賀・越前で活躍すれば加賀を本願寺に返還すると応えている

枝が幾重にも分かれている

とはいえ、本願寺にそのような力は残っておらず、実際、勝家が一向宗残党を警戒した様子はない

この合戦の結果、多くの織田家旧臣が秀吉に臣従するようになった

余呉湖ビジターセンターでビールを買い求める

合戦終了2日後には、毛利輝元の重臣・小早川隆景に自軍の勝利を書簡で報告、服属を促した

畿内の石山本願寺後に大阪城の築城を開始、朝廷から従4位下参議に任命される

羽衣天女像

秀吉の元には家康、上杉景勝、毛利輝元、大友義統など各地の有力大名が戦勝を慶賀した

天女伝説は50余か所ある

3大天女伝説は、余呉湖と三保の松原、丹後の奈具

畿内における権力を掌握

正面が賤ケ岳

丹羽長秀、池田恒興、森長可、蒲生氏郷、堀秀政ら織田家旧臣が大幅な加増を得た

太平良山

振り返り賤ケ岳山頂を仰ぎ見た

余呉湖界隈には渡来人の足跡が残る

ご当地・長浜市出身の江戸時代の儒学者・雨森芳洲は高月の出身で、中国語、朝鮮語に通じ、対馬藩に仕えて李氏朝鮮との通好実務にも携わった。韓国人から尊敬されている日本人でもある

Wikipedia参考