歴史は未来の道標
4月20日、劣勢であると判断した賤ケ岳砦の守将・桑山重晴も撤退開始、盛政が賤ケ岳を占拠するのも時間の問題かと思われた
杜の主
その頃、丹羽長秀軍2000が船で海津へ上陸、撤退中の桑山重晴軍と合流し、盛政軍を撃破した
さらに同日、大垣城にいた秀吉は木の本までの52kmを5時間で移動する美濃返しを敢行し盛政軍を攻撃
獲物を狙う鷺
秀吉軍は柴田勝政軍に攻撃対象を変更、両軍は激戦となった
ところが茂山に布陣していた前田利家軍が突如として戦線を離脱。不破勝光、金森長近の軍勢も退去した
前田利家と対峙していた軍勢が柴田本隊を攻撃、勝家軍は総崩れし北ノ庄へ退却した
蛇の眼玉石
4月23日、前田利家を先鋒とする秀吉の軍勢に北ノ庄城は包囲され、翌日夫人のお市の方とともに自害した
菊姫伝説と眼玉石
佐久間盛政は、黒田孝高の手勢に捕らえられ斬首、首は京の六条河原でさらされた
岐阜城の織田信孝は切腹を命じられ自害、滝川一益は1ケ月籠城したが、開城して出家した
七本槍以外にも感状を得、数千石の禄を得た桜井佐吉、石川兵助一光、石田三成、大谷吉継、一柳直盛ら14人の若手武将が最前線で武功を挙げた
7人というのは語呂合わせで、譜代の有力な家臣を持たなかった秀吉が子飼いを過大に喧伝したとも言われている
福島正則や加藤清正は七本槍を話題にされるのは迷惑だ、とひどく嫌ったとも伝えられいる
トンビが湖上をしきりに飛んでいた。獲物を狙っているのでしょう
Wikipedia参考











