八方台登山口で頂いた磐梯山開きペナント
博士が、見上げた、いただきに時空をこえてたっている
最初、サブタイトルの言葉の意味がピンときませんでした。地元の方は分かるのでしょうが、関西人の私には後になって分かりました
博士とは世界の医学者・野口英世のことだと
野口英世の生家は磐梯山の南麓・猪苗代湖に面したところにあり、今は野口英世記念館が建てられています。立ち寄りたかったのですが時間がなく(-_-メ)
博士の偉業を辿ってみたいと思います
風がビュービュー音を立てて通り抜けてゆきます
博士は16歳で会陽医院の書生になるまで過ごしていた生家を当時の姿のまま保存公開しています
なんて花かな?
1歳半の時に火傷を負ってしまった囲炉裏や、医師になるため上京する際に決意の言葉(志を得ざれば再び此地を踏まず)を刻んだ床柱も当時の姿のまま残されています
満開を迎えたミネザクラ
中庭には、英世が52歳で亡くなった翌年(1929年)に建立された「誕生地碑」「忍耐の碑」が立てられている
雨で花弁が下を向いています
貧しい農家に生まれた野口清作は1歳半の時、囲炉裏に落ちて左手に大やけどを負いましたが、15歳の時左手を手術して物が握れるようになりました
レンズに雨がかかります
清作は医学の素晴らしさに感動し、医師になることを目指して、会津若松の会陽医院で医術開業試験の受験勉強に日夜励みました
山開きの旗を持ちご満悦のM・Oさん
清作は上京後、難関の医術開業試験に挑みました。大変苦労しながらも、わずか1年で医師の資格を得ました
仲間が集まってきました
合格すると、高山歯科医学院、順天堂医院で働きますが、細菌学研究を目指した清作は、伝染病研究所に入ることになります
岡部小屋前に設置された郵便局
3枚セットで頂きましたので、両親、恩師、親友に送りました
このころ英世と改名しました。その後、横浜海港検疫所に勤務、さらにペスト対策で中国に派遣され、渡米する機会を待つことになります
寒さで、小屋は暖をとる人々でいっぱいでした
単独でアメリカに渡った英世は、ペンシルベニア大学の助手になり蛇毒の研究を始めました
11:27分、弘法清水を出発
ザックをここに置いてピストンすれば楽なのですが、あいにくの雨で場所が取れませんでした
その成果が認められデンマークに留学、帰米すると新設されたロックフェラー医学研究所の研究員となり、本格的に細菌学研究を行い、ノーベル賞候補に挙げられるまでになりました
鐘を撞いて山頂を目指しました
手前・弘法清水小屋、奥は岡部小屋













