長嶋さんが教科書になる②
来年度小学5年用「道徳」4ページ
かれが野球で活やくし始めたのは、高校生になってからです
9:40分、稚児の滝分岐を左へ進みました
地図にはない道なので、林間作業道だったのでしょう
食よくおうせいで、夕飯では、大きなどんぶりのご飯を三ばいは軽く食べていました
そのせいか、身長もぐんぐんのびて、高校二年生で170センチメートル、三年生で180センチメートル近くになりました
はっきりした道は一部分だけ
パワーもついて、関東地区の野球大会では130メートルのちょう特大ホームランを打って注目を集めました
道は崩れ、踏み跡が分からないところだらけ
その後、立教大学に入学し、当時の東京六大学野球の通算ホームラン記録をぬりかえました
左は千石谷へ切れ落ちていて大変危険です
大学卒業後は、プロ野球巨人に入団します。しかし、開まく戦で四連続三しんするなど、かれのプロ野球選手としてのスタートは、悲さんなものでした
鎖らしきものがありましたが、古くて役に立ちません
このくやしさから、長嶋さんの本当の野球人生が始まります
アドベンチャーロードです
毎日、きびしい練習を自分に課し、人知れず努力を重ねました。試合が終わったあとも夜中までバットをふり続け、何度も手にマメができました
滑ったら千石谷へ真っ逆さまです
ここから「努力は人の見ていないところでするものだ。努力を積み重ねると、人に見えるほどの成果が出る」という言葉が生まれます
細い沢に出ました
努力は人をうら切らないのです
そうして天性の才能と絶え間ない努力の結果、長嶋さんの選手時代は、まさに栄光の時代をむかえます
地図には載っていません
天皇皇后両陛下が観戦される初の天らん試合では、げき的なサヨナラホームランを打ち、そのかれいな守備とともに、人々に感動をあたえました
百名山踏破のYk氏も慎重です
しかし、現えきを引退してかんとくになると、また苦なんにおそわれました。かんとくになって一年目、チームは初めてリーグ最下位という成績で終わったのです
Fh氏の必死の形相
長嶋さんにとって、これほどのくつじょくはありませんでした
一番の難所は写していません
それでも長嶋さんはこの経験をバネにして、練習方法をくふうし、次の年にはリーグゆう勝を勝ち取ります
黒部の上の廊下のような所でした
青文字は、5月9日付報知新聞より













