寂光院御詠歌

難波より大原の里にしたひきて寂光院のみ仏にぞなむ

寂光院郷再興、黄門秀頼郷

願へひと六万躰の地蔵尊わけてたまわる信の深きに

本堂前庭園

左に(本堂に向かって右側)豊臣秀吉が寄進した雪見燈篭があるのですが雪に埋もれて見ることが出来ませんでした

池水に汀の桜散りしきて波の花こそさかりなりけれ・・・後白河法皇

汀の池

千年の姫子松、苔むした石、汀の桜がある

姫子松は「平家物語」灌頂巻の大原御幸に「池のうきくさ浪にただよい、錦をさらすかとあやまたる。中島の松にかかれる藤なみの、うら紫にさける色」の松として伝わる

思ひきやみ山のおくに住居して雲井の月をよそに見むとは・・・建礼門院

文治2年春(1186)、翠薫山(すいたいざん)から花を摘み帰った建礼門院が、後白河法皇と対面する場面に登場する

ほととぎす治承寿永の御国母三十にして経よます寺・・・与謝野晶子

樹齢千年のこの名木も火災受難により枯死したが、庭園は幽邃で哀れに美しく当時の余韻を残している

ひめ小松一千年のおん姿歴史の重さ今に残さん・・・寂光院智明

林泉・木立・清浄の池

女院の閑居御所として

初代は聖徳太子御乳人であった玉照姫(たまてるひめ)

548年に出家、日本最初の三比丘尼の一人)

石清水を引いた三段の滝は玉だれの泉と称し、、一段一段高さと角度が異なり、三つの滝のそれぞれ異なる音色がひとつになって合奏するかのように作庭されている

第二代の阿波内侍(藤原信西の息女)

崇徳天皇の寵愛を受けた女官であったが、建礼門院には宮中より仕えた

出家後に入寺し「お大原女」のモデルとされている

建礼門院大原西陵

五輪塔の仏教式御陵として珍しい

第三代建礼門院徳子(平清盛の息女、高倉天皇の中宮で安徳天皇の国母)は文治元年9月に入寺、平家一門と安徳天皇の菩提を弔い、終生をこの地で過ごされ閑居御所とされた

山は撤退しましたが、お陰で寂光院の雪景色を見ることが出来ました

本堂の内陣や柱は飛鳥様式を踏襲しており、外陣は豊臣秀頼が修理させた桃山様式を、古式通り忠実に復元したものである

秀頼、淀君、家康らが再興に手を尽しました