能登はやさしや土までも
世が落ち着いてきた17世紀の終わり頃には、加賀藩によって寺社由来や郷村名の由来などが調べられ、武士たちも頻繁に能登を訪れて記録を残すようになります
龍隠山「海前寺」(りゅうおうざんかいぜんじ)
その最初の書物が「三日月の日記」(浅加久敬著、1696)です
曹洞宗、天正5年(1577)創建
ご本尊「十一面千手千眼観世音菩薩」
能登の御山・石動山に参拝しようと山道を馬で登った時、道案内の馬子の笑顔と教養に、「能登はやさしや土までも」と、心引かれたことが記され、この言葉が初めて紹介されました
元は天台宗で棚木城主(勇猛寺殿黒滝長沢大居士)の祈禱寺でした
また、太田道兼は、能登の至る所に中世の説話があることに驚き、「能登名跡志」(1777年)をまとめました
以前は1.5km程離れた海の弁天島の左山上にあり、伝馬船で参ったと伝えられています
彼らは、長い戦国期と復興期を失った「ふるさと」に出会えた思いだったのでしょう
棚木城主の後、曹洞宗に改宗し海前寺となりました
「やさしさ」は、歴史・文化・光景・営み、苦楽、思いやりなどすべてを含む言葉です
このタブの木は樹齢約800年
村人が力を合わせ、手入れを行き届かせ、営々と築き上げてきた土壌は、立ち止まる場所ごとに、「どうして、この風景がこんなに懐かしいのだろう」と感じさせるはずです
樹高18m、目通り幹囲5.4m
先祖が愛しんできた景観の中で生きる能登人
宇出津港の東、高台にある
彼らがよく口にする言葉が、「おかげさま」です
参道の石段を登りきったところに立つ
小さく素朴なおかげさまから、希望や夢、絆、やさしさなどへと「能く登る」光景が語りかけてきます
地上2mほどでほぼ同じ太さの2幹に分かれ、全体に石段側に傾いている
能登の旅は、こころのふるさとに出会い、それぞれの「私の物語」がはじまる旅になるに違いありません
頂部には緑濃い葉をたくさんつけている
青文字は、「ぶらり能登」西山郷史氏「こころのふるさと」に出会う能登の旅より
まだまだ成長を続けるでしょう
青文字は、ぶらり能登「こころのふるさとに出会う能登の旅」西山郷史文より











