こころのふるさとに出会う能登
修験の霊山と海上航行
能登の最高峰・宝達山は637m。珠洲の人々が嶽山と呼ぶ山伏山は標高わずか171m
大晦日13:17分、宇出津港
なだらかな山並みが続くようでいて起伏に富み、見る場所によっては岳山に一変します
寒い時期に獲れる寒ブリは、身が引き締まり脂がのって絶品です
この修行の霊山では、聖・修験者たちにより不滅の灯が灯され、海上航行の目標となりました
1月22日(日)には寒ブリ祭りが行われます
穏やかな宇出津港の年の暮れ
山々は、漁民や海を行く旅人たちに舟の位置を知らせる格好の山ダメ(航海上目印となる山)となって海を行く人々を見守り、そこには船人を守る諸仏が祀られたのです
内浦に加えて奥行きのある入江で良港です
それら聖の住み家、霊場は近世には能登国33観音、能登12薬師、17作仏薬師札所などの名で再編されます
30日漁を終え、31日には各船には日の丸と大漁旗が掲げられます
また、このような場所には、平家物語や源義経、蘇我兄弟、白(八百)比丘尼などの物語を伝える人々が訪れました
風はほとんどありません
春に椿を咲かせながら国々を巡ったという白比丘尼の伝説地が能登には13ケ所もあります
能登のすごさは文化歴史が景観の中に途切れず積み重なっているところです
魚問屋が経営する民宿「カネ八」
上杉勢との争いがあった戦国時代ののち、まもなく能登を支配した加賀藩・前田家は、「百姓の持たる国」加賀の一向一揆による自治支配の長所を取り入れ、支配層の武士をほとんど意識させない政治を能登で行いました
魚づくしの夕食が評判です
十村(他藩の大庄屋)、肝煎り(庄屋)といった、村連合あるいは村人の代表が、行政にも関わったのです
正月明けまで休漁
能登には近世830余の村がありました
能登町役場
これだけの多くの村が成り立ったのは、山から海辺まで、見渡す限りの土地が利用でき、海藻類や漁類に富む海に恵まれていたからです
青文字は、ぶらり能登「こころのふるさとの出会う能登の旅」西山郷史文より












