ひたむきに生きてけなげに女郎花・・・奈良新聞俳壇より

評:季語は女郎花で秋。秋の七草のひとつであり、花を咲かすまで目立たない草のようで地味な黄色の小花を咲かす。この句は、自分の来し方を振り返り「女郎花」に作者の心を投影した句で味わい深い句に仕上がった

理源大師(聖宝・しょうぼう):平安時代前期の真言宗の僧。醍醐寺の開祖で醍醐寺派修験道の開祖

天智天皇6世孫にあたり、父は葛声王(かどなおう)

聖宝ノ宿は第55靡

役行者に私淑して金峯山で山岳修行を行い、参詣道の整備や、仏像造立などで金峯山の発展に尽力した

石碑には「香ば世の宿」とある

山上ケ岳登山口である、清浄橋に理源大師の大きな碑がある

役行者の母親・白尊女(しらとうめ)を祀る母公堂では弘法大師より上席に祀られています

延喜9年(909)4月、病床に就き、上表して僧正を辞する

7月6日、入滅。享年76歳

798年後の宝永4年(1707)1月、理源大師の諡号を賜る

 

聖宝は聖徳太子の生まれ変わり

聖徳太子は「私は日本に三度生まれる。その名にはともに聖の字がある」と予言した

すなわち、聖徳太子、聖武天皇、聖宝の3人である

花の中目にあくやとてわけゆけば心ぞ友にちりぬべらなる・・・聖宝・古今和歌集

訳:花の中に見飽きるかと思って入ってゆけば、逆に心が花に引き寄せられて共に散ってしまいそうな心地がする

聖宝理源大師は、天智天皇の後胤葛声王の御子として天長9年(832)に誕生、16歳の時に弘法大師の高弟(真雅僧正)について出家得度し、聖宝(しょうぼう)と名乗りました

役行者没後、百数十年の後、大峰山には悪者や毒蛇が現れて入修行の人々を悩まし、登山する人も絶え絶えになっていました

尊師は、役行者の教えと行跡が絶えることを憂いて大峯に登り、悪者、毒蛇の類を宝力により退去させ山を再開させました

大峰山を再開するとともに、その根本道場として麓の龍泉寺も再興しました

修法を積み、修験道の教義を確立し、名実ともに修験道中興の祖となりました

修験道の教えの中には、尊師による真言密教の教えが盛り込まれています