今に残る江戸の路地
5月14日、静岡県「新居関所」跡を訪ねました

慶長5年(1600)天下統一した徳川家康は、江戸を中心とする五街道(東海道・中山道・甲州道中・奥州道中・日光道中)を幹線として定め、その付属街道や脇街道も整備しました

 各街道には宿場を置き、公用荷物の継ぎ送りのため人馬の常備を義務付けました
また、江戸防衛を目的として各街道の要所に関所を設けました
関所面番所:東海道の通行者はこの建物の前で検分を受けてから渡船に乗って東に向かいました。また船を降りてすぐ改めを受け西を目指しました所  「入り鉄砲に出女」といわれるように、江戸に持ち込まれる鉄砲や武器に目を光らせるとともに、江戸から出る女性に対し特に厳しい調べを行いました
鉄砲改め:江戸に入る入り鉄砲が手形を必要とし、厳しく調べられました。江戸へ流入した鉄砲が反幕府運動に使われることを警戒したのです
  関所を通行するには通行手形が必要で、手形の内容に少しでも間違いがあると通行できませんでした
関所を通らず、密かに山越えや海越えで移動した者は関所破りとして重い刑に処せられまし
出女:女改めは関所を通る上り下りの女を調べました。人質として江戸に滞在させた大名の妻・子女が国元へ帰ってしまうのを防ぐ目的のありました。」女性は必ず手形を所持していなければ通ることが出来ませんでした。禪尼、尼、比丘尼、髪切、小女など素性に応じて区分されていた
  新居(今切)関所は嘉永7年(1854)11月の地震で大破したため、安政2年(1855)から3年がかりで建て替えられました
東海古関  新居関所は、江戸時代には今切関所といわれ、度重なる災害で2度移転を繰り返しました
ちょっと難解です!?
木戸しまる音やあら井の夕千鳥
  元禄15年までは江戸幕府が管理していましたが、以降は三河国吉田藩に移管されました
老松  明治2年(1869)正月の行政官布告で全国の関所は廃止され、約270年間江戸防衛を目的とした役割を終え、以後小学校や役場として使われました
今では全国で唯一現存する関所建物として保存されています  古い町並みが残されており、時間をとってゆっくり歩いてみたいところです