挑戦
ゼロから始めたモノづくり
5月14日、名古屋市西区にある「豊田産業技術記念館」を訪ねました
創始者である豊田佐吉から今日に至るまで、トヨターグループの源流を知ることが出来ました
佐吉は明治44年(1911)、この地栄生に自動織布工場を設立した
機の研究開発をするため豊田自動織機(G型)を完成させました
大正7年に豊田紡織に改組、大正13年にトヨタグループ誕生の礎となった当時世界で最高機能を持つ豊田自動織機(G型)をこの地で完成させた
この記念館は豊田喜一郎生誕100周年の平成6年、貴重な産業遺産を保存活用し、産業技術記念館として開館した 
 佐吉の長男喜一郎は、父親の影響を受けて紡織機械の技術者になりましが、次第に自動車の重要性を認識していきます
「自分たちの手で自動車事業を興す」という夢に立ち向かい、わずか5年で自動車生産に必要なすべてを備えた一貫生産工場を完成させます
佐吉の「研究と創造の精神」と喜一郎が情熱を注いだ「モノづくり」の大切さを広く社会に伝えることを基本理念としています



機会は人間と一体となって完全になる
発明は努力の賜物である。どうせやるなら世人の一番難しいという大衆乗用車を作ってみようという立場からやりかかったのです
我々のトヨタ丸は「廉価で優秀な車の製造という旗印を立てて、嵐の海に出帆するのであります
この自動車が今日ここまでになるには一技師の単なる道楽では出来ません。幾多の人々の苦心研究と各方面の知識の集合と長い年月にわたる努力と幾多の失敗から生れ出たのであります

 国産車を愛用してやろうという人の期待を裏切ってはならない
徹底したアフターサービスによって顧客に迷惑をかけないようにしよう、と考え、サービス体制の重視を販売政策の基本に取り入れたのである・・・神谷正太郎
  責任者は自分で率先して仕事をしなさい
それを係の担当者が助けてくれるんだ。係の人が書いた設計図を見るような責任者は意味がない
設計の責任者なら設計のことに専念しなさい
自分自身に対しても、製造に対しても、常に進んだものを用い、進んだモノを発明しよう、といった事を心がけている
  議論を先にすることをやめた
私は最初議論を先にして実地を後にしたが、父とあることについて議論して私の方が勝った。すなわち実行してみる価値無しと判断した。その時、とにかくやって見よと言われたので、やむを得ずやって見た。それが私の予想を裏切って良い成績を示したことがあり、これからもう議論を先にすることをやめた
  発明は努力の賜物
発明は知識そのものよりも、それを如何にして消化して自分のものにしているかにかかわる。世のため人のために活用しうるまではにはいろいろな研究がそれに付随しなくてはならない。そこに大きな努力がいる。その努力の中に発明が生まれてくるものだと思っている
  私たちと一緒になって日本独特の自動車の歯車をつくろうではありませんか。そして私たちのもっている見えない力というのを、この歯車によってあらわそうではありませんか。失敗は心配するな。オレが引き受けるということだったので、思い切ってやれた訳です 
できるか、できないかということは考えないで、できるものだという前提にたって最初はモノをつくれ、形をつくれ、理屈などは後で考えろというのが主旨だった
  
お客様を第一に
神谷正太郎
トヨタ自動車販売初代社長。社長・会長・名誉会長を歴任した。トヨタ自動車系ディーラーの礎を一代で築き上げ、その剛腕から「販売の神様」と称された
豊田喜一郎社長から「販売のことは一切お任せする」と販売担当の就任を要請された
語録:
・一にユーザー、二にディラー、三にメーカーの利益を考えよ
・経営者には六段階の時期がある。第一の段階は、社長個人でお金儲けをしようとする時期。第二段階は、会社としての利益を生み、蓄積を考える時期。第三段階は、売上高や社員を含めて、会社全体を大きくしたいと願う時期。第四段階は、人の組織作りに一生懸命になる時期。第五の段階は、業界や世の為、人の為に尽くす時期。第六の段階は、死んだとき悪口を言われないように努める時期
会場で多くの教訓的な言葉を目にしたが、また後日紹介させて頂きましょう